ウイグルにおける中国のジェノサイドに抗議する女性。英国・ロンドンでのデモの風景(写真:ロイター/アフロ)

 米国には、駐日米国大使館から日本に関する様々な情報がもたらされる。在日の米国メディア特派員だけの情報では、すべてを網羅できないからだ。駐米日本大使館の仕事も同じで、大使館員がスパイ扱いされる由縁である。

 そして、この手の情報によれば、日本には、いよいよ憲法改正に向けた準備を始める雰囲気が漂い始めているらしい。今国会で成立する見込みの国民投票法改正案だ。

 今回の改正案は、憲法改正の際に必要な手続きを定めたもので、駅や商業施設に共通投票所を設けるなど、有権者の投票の機会を増やすことが柱。既に国政選挙や地方選挙で導入されている公職選挙法の規定に合わせる内容だ。この国民投票法改正案が5月6日の衆院憲法審査会で賛成多数で可決された。国民投票法の成立に向けて主たる与野党の合意ができたのである。

 護憲派の筆頭と思われた公明党だが、5月5日、石井幹事長が自民党の二階幹事長と会談し、国民投票法改正案について、立憲民主党が提示していた修正案を受け入れで合意したと報じられている。国民民主党と維新の会は賛成だろうから、これで同法が成立することは決まりだろう。

 国民投票法が成立することは喜ばしいことだが、一方で日本は今ある憲法を守っていないように感じる。それは憲法9条の話ではない。憲法前文のことだ。

 憲法の前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある。重要なのは「その福利は国民がこれを享受する」というところにある。

 筆者が知る限り、憲法学者や憲法における自衛隊の扱いに新説を吹き込んでいる別種の学者は、このあたりの話にはほとんど触れていない。それゆえに、国会議員もないがしろにしている印象だ。憲法学者も国会議員も、日本国民の「福利」を考えていない気がしてならない。

 具体的に考えてみよう。