青森県亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶(重要文化財・東京国立博物館所蔵)

 縄文時代に作られた土偶は、女性や妊婦をかたどったものだ、というのが多くの人の認識だろう。「そうではない」という驚きの新説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。では、土偶は何をかたどっているのか? その結論に至った過程と具体的な土偶の解読内容を前後編でお送りする。(JBpress)

土偶(どぐう)とは:縄文時代に作られた素焼きの人形。1万年以上前から制作が始まり、2000年前に姿を消した。現在までに2万点近い土偶が発見されている。なお、埴輪(はにわ)は、古墳にならべるための土製の焼き物。4世紀から7世紀ごろに作られたもので、土偶とは時代が異なる。

(※)本稿は2021年4月に発行された『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(竹倉史人著、晶文社)より一部抜粋・再編集したものです。

 ついに土偶の正体を解明しました。

 こういっても、多くの人は信じないだろう。というのも、明治時代に土偶研究が始まって以来、このように主張する人は星の数ほどいたからだ。そういう人たちの話を聞くと、「土偶は豊饒の象徴である妊娠女性を表しています、なぜなら……」、「土偶は目に見えない精霊の姿を表現していて……」、「縄文人は芸術家です。人体をデフォルメしたのが土偶で……」といった「俺の土偶論」が展開される。こうしたすべての「俺の土偶論」に共通して言えるのは、客観的な根拠がほとんど示されていないこと、話が抽象的すぎて土偶の具体的な造形から乖離(かいり)していること、そしてその説がせいぜい数個の土偶にしか当てはまらないということである。

 土偶研究は明治時代に始まり、そこから大正、昭和、平成、令和と、じつに130年以上の歳月が経過した。それでも「何もわからない」ままであるから、アマチュアも入り乱れて「俺の土偶論」が侃々諤々、しまいには土偶=宇宙人説まで唱えられる始末――。ということで、いまさら「土偶の正体を解明しました!」などと口にしたところで、「オオカミが来た!」という虚言のようにしか響かなくなってしまったのである。

 130年以上も研究されているのに、いまだに土偶についてほとんど何もわかっていないというのは一体どういうことなのだろうか。

縄文人でも妊娠女性でもない

 土偶の存在は、かの邪馬台国論争と並び、日本考古学史上最大の謎といってもよいだろう。なぜ縄文人は土偶を造ったのか。どうして土偶はかくも奇妙な容貌をしているのか。いったい土偶は何に使われたのか。縄文の専門家ですら「お手上げ」なくらい、土偶の謎は越えられない壁としてわれわれの前に立ちふさがっているのである。

 その一方で、世の中は空前の「縄文ブーム」に沸いている。土偶はまさに縄文のシンボルであり、イメージキャラクターでもあるのに、その肝心の土偶の正体がわかりません、というのでは形無しというほかない。世界に向けて縄文文化の素晴らしさを発信しようにも、その中核にあり、おそらくは土偶が最も体現しているはずの「縄文の精神性」を語ることができないのであれば、それはわれわれの知の敗北を意味するであろう。

 それでいいのか。いいわけがない。