新今宮から目と鼻の先にあるあいりん地区。通称「釜ヶ崎」と呼ばれている(写真:AP/アフロ)

(片桐新之介:地方創生コンサルタント、第6次産業コンサルタント)

 まちづくり、という言葉は結局何を意味するのだろう。最近はそんなことばかりを考えている。「まちの人のつながりをつくる」「産業を再生する」「賑わいをつくる」どれも正解のように見えて、正解ではないように見える。

 私は現在兵庫県尼崎市の都市計画審議員を務め、かつこの6年間ほど、兵庫県の「人間サイズのまちづくり賞」という、兵庫県が市民のまちづくり活動を表彰するという取り組みの審査員を務めている。2019年度まで審査委員長を務めていた兵庫県立大学大学院(人と防災未来センター上級研究員)の小林郁雄特任教授は、兵庫県立大学大学院の教員コラムで、まちづくりの定義を以下のように定めている。

『私は、まちづくりとは「地域における、市民による、自律的・継続的な、環境改善運動」と定義している。すなわち、まちづくりとは運動である。重要なのは、「地域における」「市民による」という点にある。地域市民が安全安心・福祉健康・景観魅力のための環境改善運動を、自分たちが自律的に、継続的にやり続けることが「まちづくり」である』。

 この文章を見ると、冒頭で私が述べた疑問には、大切な視点が欠けていたことが分かる。それは「主体」だ。すなわち、「誰が」まちづくりをするのか、ということが欠けていて、「目的」「手段」ばかりを考えていたような気がする。しかし、現実的には、小林先生が指摘しているような「地域における、市民による、自律的・継続的な、環境改善運動」と、行政が主体となって実施する都市計画などより良いまちをつくるための行政の取り組みが混然としているところが実情だと思う。

 大阪市西成区に、新今宮という駅がある。JR環状線と南海本線の乗換駅としても重要だが、それ以上にこの駅名が知られているのはその周辺環境、いわゆる「ドヤ街」の存在や、そこで営まれてきた多くの人の生活、そして多くの事件の結果であることは間違いない。そして今、大阪市の進めるとあるプロジェクトに賛否の声が集まっている。それは、「新今宮ワンダーランド」と呼ばれるプロジェクトだ。

 このプロジェクト内で、4月6日にPRとして出されたブログが炎上している。上記のブログは、あくまでPR記事である。著者は福祉業界にも長く勤めたライターで、しっかりと現地の課題に寄り添って書く人だったらしいが、内容は「貧しい人々がどのような生活を見に行く」いわゆるスラムツーリズムへの批判を受けやすい表現が随所に見られる。私個人から見ても、西成区の新今宮エリアが抱える問題を十分に取り上げていない、表層的なものであると感じた。

 ただ、このブログを、感覚的に(あるいは一部は、ある程度の政治的意志や感情論をもって)批判するだけでは何の価値もない、というのがこの文章の主題である。大阪市がやっている事業ということで反維新の人が批判する、電通が受託した事業ということで、大企業が嫌いな方々が脊髄反射的に批判しているところも見られるが、本質はそこではない。