端島と長崎を結んだ定期船。最盛期には9往復していた(写真:軍艦島を世界遺産にする会資料、以下同じ)

 ※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178)
 ※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267)
 ※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576)
 ※4回目「廃墟と化した軍艦島はなぜ世界遺産に登録されたのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64695)

四半世紀ぶりの同窓会で感じたこと

 平成11年(1999)秋、19歳で島を離れて以来、25年ぶりに端島中学校の同窓会を長崎で開いた。準備に約半年を要した。4半世紀前に別れた同級生の居場所を探すために時間を要したからだ。きっかけは、前年に開いた長崎在住の同窓生の集まりで出た「そろそろ俺たちも45歳になるから、一度、25年前に別れた同級生を集めて同窓会をしてみたい」という言葉だった。

 長崎の仲間で同級生の消息を探すことになり、端島で働いていた人たちの集まりである端島会の名簿を借りて一軒一軒電話をかけて、同級生を探し出した。同級生の親の消息を調べるのが一番の早道だと考えたのだ。一人の親が見つかれば、別の同窓生の消息がわかってくる。同級生の兄弟も辿った。そのような方法で探し出した。

 25年は長かった。春から始めて何度か名簿を更新したが、90人近かった同級生のうち、30人足らずしか把握できなかった。焦る気持ちで探し続け、8月末になんとか70人近い名簿をつくりあげた。同級生に同窓会の案内状を出しながら、懐かしさから声を聞きたくなって電話をかけて、長話になったのは1度や2度ではない。最終的に45人の同級生が長崎で再会した。

 懐かしい顔が一人また一人と現れるたびに、大きな歓声とともに、あだ名で呼び合い、「本当に○○さん?」と互いを確認した。25年前のエピソードを話しているうちに、いつしか中学生の顔に戻っていった。小学校時代の先生も招いた同窓会だった。

 閉山式からわずか4カ月ほどの間に、全国に散らばった旧友との再会だ。話題は島のことばかり。中学生時代に戻った皆は、時間を忘れて思い出を語り合った。

 集まった同級生は島を故郷と思っている。いつまでも忘れないと心に誓っていただろうが、その故郷に立ち入ることはできなかった。同窓会をきっかけに、各地で少人数の同窓会が始まったことを付け加えておく。