軍艦島を遠く望む(写真:軍艦島を世界遺産にする会資料、以下同)

 ※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178)
 ※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267)
 ※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576)

人々の暮らしを守り続けた軍艦島

 記憶から失われたはずの島が、人々の注目を浴び、世界遺産となった。なぜ人々は島に関心を寄せるのだろうか。

 軍艦島こと「端島」は、過酷な条件の中、知恵を絞り、大海の藻屑になる運命の波をくぐりぬいてきた逞しさがある。人生そのものといってもいいその逞しさに私は魅了されていたのかもしれない。

 石炭を掘るただそのために存在し、その資源が優良だともてはやされ、人が集まり街が形成された。時代の寵児になったのだ。

 そして、島は幕末から明治、大正、昭和の時代を駆け抜けた。絶頂期を迎えた島は、昭和40年代からかげりが見え、役目を終えた。200年間生き続けた島の終焉はあっけなかった。住人は名残を惜しみながらも島を捨てた。

 産業廃棄物となった廃墟の島は人々の記憶から消え始めた。

 最盛期の面影をなくした島は崩壊を待ち、岩礁に戻ろうとしていた。自然の摂理にあらがう必要はなかったかもしれないが、世界遺産としてよみがえらせるというとんでもない発想が生まれた。

 時代がそれを求めた。日本や世界が大きく変わろうとする過程で、原点を求め、島を産業遺産としてクローズアップさせた。

 私は20年近くこの島を見続けてきた。荒波にもまれ、護岸を削り取られ、台風の猛威と戦いながらそれでも島はかつて人々が暮らした建物を守り続けた。守るものなどなくなった島の使命感に固唾を呑んだ。死んだはずの島が荒れた日の海の中で波と戦う姿、快晴の穏やかな日に佇む島の姿。どの表情を見ても「生きている」と感じられずにいられない。

 翻弄された時代の寵児が今でもそこに生きている──。それを考えたとき、島は私の鏡になった。人生も荒波を越えて立ち向かわなければならない。もてはやされる絶頂期があり、裏切られて失意のどん底に立ち会うこともある。人々から裏切られ、見捨てられる不条理の中でも生きぬいていく逞しさは人生そのものだ。

 自然に立ち向かう軍艦島は、自然の中にある。人類もまた本来は自然の中にいるはずだ。地球の恵みの中で生かされていることを忘れてはいけない我々人間に島は自然とどう向き合うのかを教えてくれる。