台湾の李登輝・元総統の告別式(2020年9月19日、写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 いよいよ日本の運命を決する時が近づいてきた。自由主義社会で生きるか、言論などが圧殺される社会で生きるかの分かれ道である。

 日本は民主化されたミャンマーに相当食い込んでいると仄聞してきた。大学の後輩からは、ミャンマーで銀行業を行う同僚はアウンサンスーチー国家顧問とも連絡が取れるほどだとも聞いた。

 そうであるならば、商売人の性として、政権側だけでなく軍部などにも相当入り込んでいたに違いない。

 そのミャンマーで2月1日にクーデターが起き、ほぼ2か月が経つ。軍事政権は国民の犠牲者を顧みない強行作戦をとり続けている。

 民主化をさほど歓迎していなかった軍の背後には中国の影が漂い、国連も機能しない。いまこそミャンマーの各界に食い込んでいた日本の出番ではないだろうか。

 大東亜戦争でも東南アジアが焦点になったように、この地域は日本が力を入れるべき地域である。

 当然のことながら外務省やその外郭団体などは相当食い込んでいてもおかしくないが、クーデター後に日本外交の顔がほとんど出てこないのが寂しい。

日本に突きつけられた刃

 そうしたところに、かねて問題視されてきた香港や新疆ウイグル自治区の人権問題を引き金に、米欧が時を同じくして中国に厳しい姿勢を打ち出してきた。

 中国発とみられる新型コロナウイルスが1年余にわたって世界の人々を恐怖に陥れ、また甚大な人的・経済的損失を与えているが、謝罪して謙虚に振舞うどころか、逆に人道支援の国であるかのように振舞っている。

 これだけでも許せないという思いでいっぱいであるが、当の中国は逆に米国や日欧などの先進国の疲弊はチャンスとさえ見ているようである。

 南シナ海や香港に見るように国際法を無視し約束を守らない中国、挙句に世界が困惑しているのを好機と捉え台湾や東シナ海で攻勢さえ見せる中国、そして民主主義国家へ向かいつつあったミャンマーの今次クーデターを支えているとみられる中国。

 こうした諸々の顔をした中国は、もはや許容範囲を逸脱したと米欧諸国には見え始めたということであろう。

 先の日米2+2では南シナ海や東シナ海での行動や海警法の制定などに対し、「既存の国際秩序と合致しない行動は日米同盟および国際社会に課題を提起している」と明記し、また、香港や新彊ウイグル自治区での人権状況に「深刻な懸念を共有」するとした。

 新彊ウイグル自治区で行われている強制収用をドナルド・トランプ前政権は「ジェノサイド」と規定したが、ここに至ってEUと英加が加わってウィグルやモンゴル族への弾圧で対中制裁に踏み切った裏には、批判だけでは不十分という思いからである。

 日本政府は慎重姿勢をとっているが、価値観を同じくし、「深刻な懸念」を共有するとしたからには、この際共同歩調をとるのが効果的ではないだろうか。

 これは「日本に突きつけられた刃」である。同時に、なかなか解決しない日本人拉致問題で、こうした共同歩調が北朝鮮に圧力をかけることにもつながるに違いない。