激し応酬となった米中外交トップ会談。中央の男性が楊潔篪共産党政治局員、左から2人目は王毅国務委員兼外相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 3月19日から2日間にわたって開かれた米中高官による会議は、冒頭の激しい議論とは裏腹に、実質的には米中緊張緩和路線の可能性が見て取れた。どちらも相手を牽制したのは事実ながら、2日間を無難に乗り越えて、気候変動、北朝鮮、アフガニスタン問題での協調を約束したのが何よりの証拠と言える。今回の非難の応酬は、双方ともに国内向けのパフォーマンスである可能性が高く、これからの動向を見極める必要がある。

なぜブリンケンは席を立たなかったのか

 実際の会議の冒頭では、ブリンケン国務長官が2分で話をまとめた後、その内容が中国に対する牽制ということで楊潔篪共産党政治局員が16分間にわたって反論を繰り広げた。その後、サリバン大統領補佐官(安全保障担当)と王毅国務委員兼外相を交えやり取りが続いたが、終始険悪なムードだった。会話の要旨や会議の内容が大手メディアやYoutubeなどに出ているので、試しに少しだけでも見てほしい。実際に会議の様子を見ると、最初から喧嘩をしているように見える。

 既に、多くの論説が出ているが、今回の会合が「米中新冷戦への新たな1ページを開いた」ということになるのかもしれない。米国は会合のために中国からやってきた人々のために食事も用意しておらず、仲良くしようという発想は最初からなかったのかもしれない。中国通の人ならわかるだろうが、中国では、何をおいても食事は歓迎の基本である。

 もっとも、外交交渉とは「何を勝ち取り、何を相手に渡すか」を考えて行うものだ。中国にとって、最初から香港、ウイグル、台湾の3つは妥協するつもりのないテーマであることを考えると、気候変動、北朝鮮、アフガニスタンだけが、今回の重要な外交交渉の対象だったと言っても過言ではない。

 それが証拠に、ブリンケン国務長官の言動に不満を持った楊潔篪氏の発言はかなり過激だったので、通常ならそこで“The End”、つまり米国側は席を立ってしまってもおかしくなかった。事実、その責任は中国にありと言えるほどの状況だった。だが、ここで考えてほしいのは、国家を代表してアラスカまで来た2人の中国要人がそのようなリスクを冒すだろうか、ということだ。

 2021年は共産党結党百周年である。コロナ禍のため大仰なものにはならないが、7月1日には記念式典を準備しており、米中首脳会談もそれまでに急ぎ実現したいところである。このように中国側には目的が多く、このアラスカ会議を物別れに終わらせるという選択はなかったはずだ。

 同時に、再生可能エネルギーへの大規模投資政策「グリーン・ニューディール」を国内で始めたバイデン政権にとっても、パリ協定復帰の成果を上げるためには、中国との物別れということはあり得ない選択だっただろう。

 つまり、国内メディアが「堂々の退場」などと報じた1933年ではの国際連盟脱退のような愚かな選択は、世界の覇権を争う米中の選択肢にはない。とすると、かなりの確率で、これは世界に対するパフォーマンスだったと考えておくことが適当だ。