(英エコノミスト誌 2021年3月27日号)

新型コロナを機に一つになった生物医学技術が、ヒトの健康を大きく変える。
ゲノム(染色体1組の全遺伝情報)を解読されたウイルスの第1号は、「MS2」と呼ばれる無名の小さな生き物だった。
そこに含まれていたリボ核酸(RNA)の3569文字が1976年に発表された。スタッフが大勢集まったベルギーの研究所が約10年かけて読み取った苦労の産物だった。
長さがMS2のほぼ9倍に達する新型コロナウイルス「SARS-COV-2」のゲノムは、中国・武漢の医師たちが新型肺炎に最初に懸念を抱いてから数週間しか経たないうちに公表された。
この偉業は、これ以降も数え切れないほど繰り返されている。
ブラジルで猛威を振るっているものに代表される、恐ろしい変異株の正体を突き止めようとする過程で解析された検体は、今では100万件に達しそうな勢いだ。
オリジナルのゲノム配列は発表からわずか数週間でワクチン開発の基盤になり、供給体制や政治情勢、そして一般の人々の信頼感といった諸条件が整ったところでは、ウイルスの拡散を妨害するほどになっている。
地道に積み上げられてきた進歩が突然開花
医学が1976年以降に進歩してきたことには、これといった驚きはない。
しかし、過去数十年にわたって積み上げられてきた科学の進歩が、新型コロナウイルス感染症「COVID-19」のパンデミック(世界的大流行)をきっかけに、示し合わせたように突然開花したことには喜びを禁じ得ない。
大量のデータと実験、そしてそれらによる識見はパンデミックに、それどころか医学の将来にも、とてつもなく大きな影響を及ぼしている。
また、インスピレーションにもなっている。
世界中の科学者たちが本来の仕事を後回しにし、共通の敵との闘いに少しでも貢献しようと努めている。例えば、厳重に守られた研究所の空間が、検査処理という単調な作業に使われている。
COVID-19について書かれた研究論文の数は約35万本に上っている。しかもその多くは、査読前の論文を集めた「プレプリント・サーバー」で公開されており、研究成果をほぼ即座に利用できるようになっている。
これらのことすべての土台になっているのが、体系的かつ革新的な形での医学への遺伝学の応用だ。単に病理を理解するためだけでなく、広がっていく病気の追跡、治療、予防においても応用されている。
このアプローチは、「ナチュラル・セキュリティー(自然安全保障)」として知られるようになりつつあるもの――すなわち病気、食料不安、生物兵器を使った戦争、さらには環境の悪化など生物界とのかかわりによって生じるリスクに対し、人間社会を打たれ強くする取り組み――を下支えすることになるかもしれない。