飯舘村の各地区ごとに開かれた住民集会では、やり場のない憤りに苦しむ人々の姿があった(写真:橋本 昇)
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 10年前の東日本大震災。太平洋に面した岩手、宮城、福島の東北3県はいずれも津波の大きな被害を受けた。交通網も寸断されたが、被災の状況を伝えようとマスコミの取材陣はなんとかして現場に入った。ただし、原子力発電所の水蒸気爆発が起こった福島を除いて、だ。
 そうした中、事故直後から福島に入り、現地がどうなっているのかを撮影し続けた数少ないフォトグラファーの一人が橋本昇氏だ。当時橋本氏は何を見て、何を記録したのか。改めて写真と文章で振り返る。(JBpress編集部)

汚染された生乳

(フォトグラファー:橋本 昇)

 南相馬市と山をはさんだ隣の飯舘村。原発の30キロ圏内からは外れるこの山に囲まれたのどかな村にも、放射能汚染は拡がっていた。突如持ち上がった放射能汚染の問題。村の人々は困惑していた。

 3月下旬、飯舘村のまだ雪の残る牧草地で、牛乳を棄てている人に出会った。軽トラックに積んだ大きなミルクタンクのホースの先から、勢いよく牛乳が流され出ていた。

 その傍で一人の男性が、土に広がって行く牛乳を様子をじっと見つめていた。

「やはり放射能ですか?」

「そう! せっかく牛が出してくれた牛乳だけど、誰も飲んではくれないよね。当然だけど、放射能まみれの牛乳を飲む人間はいないよ」

 と、酪農家のOさんは笑いながら答えた。

搾乳した生乳を破棄する酪農家(写真:橋本 昇)
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「乳牛は毎日2回搾乳しないと乳房が炎症を起してしまう。今は牛乳をばら撒くために毎日牛に餌を与えているようなものだね」

「浪江や双葉や大熊の農家は牛を置いて逃げたけど、ここはまだ人が住んでいる。いっそ逃げた方が楽なのかも知れない、とも思いますよ。飯舘の酪農も畜産も全滅だろうね」