(英フィナンシャル・タイムズ紙 2021年2月17日付)

カルタゴを滅ぼしたローマは分断と対立に向かった(写真はカルタゴ遺跡)

 米国の南北戦争における最初の戦いの一つは、ミズーリ州のカーセッジという町の近くで行われた。

 運命のいたずらか、その町のつづりは「カルタゴ(Carthage)」と同じだ。

 南北戦争より2000年ほど前、ローマ人は本家カルタゴを略奪したが、その後の平和の時代にローマ人同士が対立することになった。

「メトゥス・ホスティリス(外敵の脅威)」が共和政ローマの団結を維持した――米国建国の父たちのお気に入りだった歴史家サルスティウスはそう記している。

 この脅威がない時は、内輪もめも汚職もやりたい放題だった。

平和も精神的な試練

 もし米国が、このカルタゴのような外敵を常に募っているとするなら(作家のゴア・ビダールは米国の「今月の敵クラブ」に言及していた)、それは生まれついての軍国思想のためではない。

 平和も精神的な試練になり得るという、ただそれだけのことだ。

 民族的な基盤を持たない国家は、自分が何者かを明確にするために外部の存在を必要とすることがある。

 南北戦争が起こったのは、米国にとって足元の脅威に最も近い存在だった勢力をメキシコで懲らしめた後のことだった。

 戦間期には都市部で争いごとが増えた。イタリア系、ポーランド系、アイルランド系が米国市民への仲間入りを果たしたのは、ニューディール政策だけでなく徴兵が行われたからだ。

 冷戦について言うなら、終結後に党派間の対立が激しくなったことに留意するといい。

 連邦最高裁判所の候補者が全会一致で承認されることは、ワシントンの雰囲気が協力的であることを示す代理指標の一つだ。これは1988年以降、一度もも起きていない。