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大阪府警におよそ38年間勤務した筆者・村上和郎氏は、そのキャリアの多くを所轄署の鑑識係として送った。その間に扱った変死体は4000体ほど。「死」の原因は、事件、事故、自殺、病気、老衰など様々だが、それらは凄惨な死である場合がほとんど。人生の悲哀が凝縮された死と言ってもよい。過酷な最期を迎えることになった遺体と日々向き合いながら、村上氏は故人に対するリスペクトにも似た気持ちを覚えるようになった。いつしか同僚から「おくりびと」と呼ばれるようになったのも、その気持ちがあったからだろう。

その村上氏が著した『鑑識係の祈り――大阪府警「変死体」事件簿』(若葉文庫)より、一部を抜粋・再構成して紹介する。

*本記事には凄惨な描写が含まれています。

腐乱死体とDNA鑑定

 8月のある猛暑日。署の管轄内にあるマンションの住民から、相次いで通報が入った。同じマンションでひとり住まいをしている、高齢女性(70代前半)の安否確認をしてほしいという案件だった。

 通報者によれば、女性宅のドアポストには新聞やチラシなどが大量にたまっており、数日前から「腐敗臭」の発生源になっているという。ポストにあふれかえる郵便物と腐敗臭のセットは、いわゆる“変死サイン”だ。当直班の班長だった私は、通報を受けて変死用エプロンやゴム手袋、キャップ帽、ビニール製の足カバーなどを、ふだんより多めに用意しておく。遺体を包むビニールシートと、担架式の極楽袋(遺体収容袋)も捜査車両に積み込んだ。

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 署を出発する直前、現場に同行するふたりの若手に変死現場の心がまえを伝える。

「きれいな服を着て行ったらあかんで。腐敗臭は繊維に染み込んで洗濯してもとれんようになる。それだけやない。髪の毛やまつ毛、鼻毛、眉毛、皮膚の毛穴、くちびるに移ったにおいは、風呂に入ってもしばらくはとれんようになるからな」

 けっしてオーバーな表現ではない。これが変死現場の実態だ。事実、高度に腐敗した遺体の検視時に着ていた作業服は、それだけを洗濯板で手洗いしていた。洗濯機で洗ってしまうと、洗濯槽に腐敗臭がこびりついてしまうからだ。