データは石油とどう違うのか?(写真はイメージです)

 連載「ポストコロナのIT・未来予想図」の第23回。デジタル時代の主役を担うデータであるが、実は「データは誰のものか」はかなりの難問である。元日銀局長の山岡浩巳氏(フューチャー取締役、フューチャー経済・金融研究所長)が解説する。

 SF映画の名作『ブレードランナー』をもとに、その30年後の世界を描いた続編『ブレードランナー2049』が、数年前に制作されました。その重要な前提となった設定とは、アンドロイド(レプリカント)にとって自らの権利を守るために最も重要だったのが自分のデータの消去であったことです。

データは石油とどう違うか

「21世紀の石油」と言われるデータが石油とは異なる特性を持っていることは、前回(第22回)でもご説明しました。「使っても減らない」「保管に場所を取らない」「たくさん集めるほど限界的な効用も高まり得る」ということです。しかし、さらに法律の観点からは、石油と異なり複製が容易であり、「誰のものか」といった法的な権利の対象になりにくいという特徴もあります。2017年に経済産業省が公表した「データの利用権限に関する契約ガイドライン」でも、「データは無体物であって民法上の所有権の対象ではない」と明言されています。

 しかし、データが広範な経済活動の中核となりつつある現在、データを巡る権利の問題が、大きな議論の対象となっています。

 データは、個人の尊厳やプライバシーを脅かすものとして慎重な保護が求められると同時に、多くのデータを束ね、これを極力オープンにし、広範な主体が共有できるようにすることで、社会の発展や人々の効用増加につながる面もあるからです。

 一方、石油については、それ自体がプライバシーの問題を内包するわけではありません。特定の人しか費消できないという排他性ゆえに、「オープンな利用」も考えにくいわけです。

 現在みられる、米国のGAFAや中国のBATといった「ビッグテック企業」への監視強化の傾向も、結局は「国を超える規模に成長した巨大企業がデータを独占することへの警戒」を象徴していると言えます。「データは誰のものか」という問題は、現在の技術環境の下での経済や産業構造を大きく左右する問題にもなりつつあります。