1970年11月25日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地の総監室前のバルコニーから演説する三島由紀夫。この後、総監室で自決した(写真:akg-images/アフロ)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

「つかむところがなかったから、耳を持って運んだんだよ」

 当時の捜査関係者から、そう聞いたことがある。

 三島由紀夫の割腹自殺の現場に入った人物だ。そこには切り離された首が置かれていた。

 11月25日で、あれからちょうど50年になる。

 まだ物心のつく以前の出来事だったが、かつて私は、その当時の現場の状況について、関係者に話を聞いてまとめたことがある。貴重な証言なので、あらためて振り返っておきたい。

首を失った身体に掛けられた制服

 あの日、三島は私兵組織『楯の会』の会員4名と共に、東京・市ヶ谷にあった陸上自衛隊東部方面総監部の総監室に日本刀を持って押し入ると、総監を人質にとって不法占拠する。

 正午、総監室前のバルコニーに出た三島は、自衛隊員に決起を呼びかけるように約10分間の演説を行う。階下からは自衛隊関係者の罵声が飛び交う。やがて総監室にとって返すと、そこで腹を切る。『楯の会』の会員だった森田必勝も後に続いた。

上半身裸で日本刀を抜く三島由紀夫。写真は1968年撮影のもの(写真:picture alliance/アフロ)