文=田丸 昇

ニコニコ超会議2019に出席した藤井聡太。(写真:森田直樹/アフロ)

幼稚園の頃からの特別な教育

 将棋の高校生棋士である藤井聡太二冠(棋聖・王位=18)は、2002年7月19日に愛知県瀬戸市で生まれた。家族は、会社員の父親、母親、4歳年長の兄の計4人。両親は、読み方の響きが気に入って「聡太(そうた)」と名付けたという。

 藤井は3歳のとき、「モンテッソーリ教育」を取り入れている地元の幼稚園に入園した。それは、イタリアの女性医師のマリア・モンテッソーリが20世紀初頭に提唱した教育法で、さまざまな教具を用いた作業を通して、子どもの自主性や協調性を養う趣旨がある。藤井は、それらの作業に夢中になって取り組んだ。

 ある大学教授の追跡調査によると、その教育を受けた子どもたちは、集中力と直感力、臨機応変に対応できる能力が優れた傾向があるという。藤井にも当てはまることである。

 

将棋が強いが、囲碁は?

 藤井は5歳のとき、隣家に住んでいる祖母から「スタディ将棋」という入門者用の盤駒セットをもらった。それぞれの駒の表面に、動かし方が矢印で示されていて、将棋をわかりやすく覚えることができた。藤井が将棋を教えてくれた祖母と指してみると、駒の動かし方しか知らない祖母にすぐに勝てるようになった。祖母よりもっと強い祖父と指しても、やがて勝ってしまった。藤井は勝つことのうれしさで、将棋がますます好きになった。

 だが藤井は同じ頃、囲碁も教えてくれた祖母と打ってみると、将棋と同じく初心者の祖母になぜか勝てなかった。もし藤井が祖母に将棋で負けていたら、後年に将棋の道に進んだであろうか。または祖母に囲碁で勝っていたら、囲碁に夢中になっただろうか・・・。

 藤井が将棋を好きになって熱中した理由は、このように偶然の成り行きからだった。

 

名人たちが上達したきっかけ

 棋士が将棋を覚えて上達したきっかけは、さまざまである。永世名人(名人在位通算5期で取得。引退後に襲名)の称号を有している2人の大棋士の例を紹介する。

 谷川浩司九段(十七世名人=58)は5歳のとき、5歳年長の兄と何かにつけて喧嘩していた。それに手を焼いた父親は、文房具店で将棋の盤駒を買って兄弟に与えた。ただ、父親は将棋を知らないので、百科事典を見ながらルールを教えた。その後、兄弟は将棋の面白さに引かれ、毎日のように指して上達した。喧嘩も治まったという。兄弟喧嘩が発端となり、後年に大名人が生まれた。

 羽生善治九段(十九世名人=50)は6歳のとき、小学校の同級生のTくんに将棋を教わった。なかなか勝てなかったので、七夕の短冊に「Tくんに将棋で勝てますように」と願い事を書いた。そのTくんが転校し、羽生は将棋の相手を失って寂しそうな様子だった。それを見た母親が街の将棋クラブに通わせると、羽生はめきめきと上達し、天賦の才能が一気に開いた。同級生の転校が発端となり、後年に大名人が生まれた。

 ちなみに私こと田丸は12歳のとき、伝説の棋士・阪田三吉(贈名人・王将)を題材にした歌謡曲『王将』(歌・村田英雄)をラジオで聴いて将棋の世界に憧れ、将棋を覚えて熱中した。

 藤井、谷川、羽生の共通点のひとつは、父親がいずれも将棋をほとんど知らないことだ。漫画『巨人の星』の星一徹・飛雄馬のように、父親が息子を厳しく鍛えて強くするという例は、将棋界ではきわめて少ない。