(廣末登・ノンフィクション作家)

 前回は、新型コロナウイルスの影響で、縁日(お祭り)というものが開催できず、テキヤのバイ(商売)に大打撃を与えている現状を概観した。

 今回は、実際に、筆者の知り合いで、元テキヤの一家持ち親分、本家(宗家)では若中頭(本文中では、A氏とする)だった者にも会って、現状に関する感想、生き残るためにどのような方策をとっているのかを尋ねてみた。

 もっとも、この親分にしたって、20年以上テキヤ稼業を渡世にし、西日本を移動しながらバイをしてきた古強者だが、今回のような危機的状況は前例がなく、自分の経験に基づく仮定しか語れないという。

(参考記事)コロナで一変、「祭り」と「テキヤ」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62303

筆者が共にバイした親分

 まず、このテキヤの元親分A氏を簡単に紹介しよう。筆者がテキヤのバイをかじったとき、A氏の配下に加えられた。別に、筆者が望んだのではなく、販売業の経験がある筆者の売り方が、「テキヤにない新鮮なもの」に見えたからという理由で、勝手に手下に加えられた。新鮮なものといっても、それは単に「百貨店式の丁寧な接客」を崩したものに過ぎず、別に奇をてらったわけではない。

 あとは、筆者が呼び込みや選挙で鍛えた声出しで、声が通り、バイのタンカが上手かったことが理由のようだ。のべつまくなしに呼び込みするお経の出来損ないのようなタンカではなく、客が付けば声を出して、他の客の足を止めるという具合にメリハリをつけたことが、よく売れたことの一因であると思う。

 このA氏は、筆者から見ると、少々、荒っぽい男だが、商売の方は達者であり、朝から晩まで三寸の前に根を生やしたように立ち、商売に取り組む真面目さも相まって、売り上げも安定していた。

 何より、彼がテキヤ稼業で頭角を現したのは、その個人の能力、すなわち創意工夫の才によるところが大きいと思われる。たとえば、「箸巻き」(薄く焼いたお好み焼きを割り箸に巻いたもの)ひとつにしても、普通はトッピングなどしないものだが、彼の場合は、明太やチーズなど、数種類のバリエーションを用意していた。

 商売も適度に売り上げていれば、同業から僻まれることもないだろうが、売り過ぎると、そこは世の常、妬みや僻みが出てくる。A氏の場合も、そうした声を耳にするのが嫌だったのか、親分が他界し代替わりしたことを機に、業界から足を洗って運送系のサラリーマンに転身した。