文=岡崎優子

緊張のあまり、デビューライブで高熱を出したロバートソンの治療に催眠術師を呼んだエピソードも披露

『ラスト・ワルツ』から40余年

 今、日本映画界は『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』一色。ある程度の予測はしていたものの、まさかこれほど次々と興行記録を塗り替える大ヒットになるとは思っていなかった。と言いつつ、原作ファンでもあったので、初日2日目に見に行ってきて、その幅広い客層に驚かされた。まだまだこの社会現象は続きそうな勢いだ。ありがたくも、コロナ禍の影響で大打撃を受けた日本映画界の救世主となっているが、同時期公開の良作にほとんどスポットが当たらなくなったのは残念でもある。

 そのうちの一本、『鬼滅の刃』から1週間後の10月23日に公開されたのが『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』である。ザ・バンドと聞いて、懐かしいと思うのは往年ファンだけでなく、マーティン・スコセッシが監督した音楽ドキュメンタリーの傑作『ラスト・ワルツ』(78)でザ・バンドを知った世代もいるだろう。どちらかといえば私は後者で、遅れて彼らの音楽を聴きまくり、ハマった一人だ。

 「人生のベストワン映画は?」とたまに聞かれ、窮して「人生で一番よく見た映画であれば答えられる」と、『ラスト・ワルツ』を挙げることが多い。ほとんどBGM代わりに映像やサントラ盤を流していた時期もあった。2018年4月、製作40周年を記念し、大音響リマスター版でリバイバル上映された時は、再び大画面で、しかも大音響で見られるなんて、と狂喜。9月に亡くなった『タクシードライバー』(76)『レイジング・ブル』(80)の撮影監督マイケル・チャップマンを筆頭に、『イージー・ライダー』(69)のラズロ・コヴァックス、『未知との遭遇』(77)のヴィルモス・ジグモンドら7人の名カメラマンを起用した、解散コンサートの臨場感溢れる映像がまた素晴らしい。

 

スコセッシも製作に参加

 結成当時のオリジナルメンバーでのザ・バンドの活動期間は1967~1976年。その後、リーダー的存在のロビー・ロバートソン抜きで1982年に再結成され、翌83年には日本ツアーも行われた。リチャード・マニュエルが自らの命を絶った後も活動は続き、1987年、1994年に再び日本ツアーが開催。いずれのコンサートに行ける幸運にも恵まれ、個人的なザ・バンド熱は冷めないままだった。しかし、1999年にリック・ダンコが亡くなってからは完全に活動停止。リヴォン・ヘルムも2012年に喉頭がんのため逝去してしまった。

解散はアルバム制作に力を入れたいロバートソンと、ツアー活動重視の他のメンバーと別れて対立。当時のことも赤裸々に語られる

 ヘルムは俳優としての活動も活発で、『歌え!ロレッタ愛のために』(80)『ライトスタッフ』(83)など多数の作品に出演。ちょうど亡くなった時は、映画雑誌で訃報欄を担当していたこともあり、彼の死を小さな記事ではあったが取り上げ悼んだ。メンバーの半数が亡くなっているだけに、再びザ・バンドの軌跡を追うドキュメンタリー映画が製作され、公開されるとは思ってもみなかった。