日本学術会議(2020年10月7日撮影、写真:西村尚己/アフロ)

 左派系マスコミと野党の一部は日本学術会議の推薦会員のうち6人を菅義偉首相が任命しなかったことばかりを問題化し、同会議の在り方見直しとは全く別だと分離を図っている。

 しかし、同会議は「科学研究の面から国家に責任を負う唯一の組織」と位置づけている。

 そうであるならば、憲法が認める自衛のために存在する自衛隊の装備研究や自衛官の大学院での研修の便宜を図るのが当然であるが、現実は全く逆にどちらも忌避している。

 これらは憲法の趣旨とする「座して死を待たず」や憲法が保障する「学問の自由」に違反している。

国家には生存権、憲法も自衛戦争認める

 戦後の日本は武装解除されたままで、米軍の保護下にあった。

 1947年施行の日本国憲法では第2章「戦争の放棄」を規定しているが、9条1項は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とし、第2項で「前項の目的を達するため」、軍やその他の戦力は保持せず、交戦権は認めないとした。

 第1項が侵略戦争を認めない意であることは不戦条約(パリ条約)の審議過程からも明らかである。

 したがって、「前項の目的を達するため」とした第2項の枕詞に続く軍やその他の戦力を保持せず交戦権も認めないとするのは侵略戦争のための軍やその他の戦力と交戦権のことである。

「自衛のため」の軍を保持することや自衛戦争は認められているとするのが一般的な解釈である。

 しかし、憲法制定当時は自衛のための戦力自体がなかったし、そのあり様も皆目分からなかった。

 ところが、想定外の朝鮮戦争が始まって韓国軍が総崩れとなり、半島南端の釜山まで追い詰められる。

 急遽、日本駐屯の米軍が派遣されることになり、日本には治安悪化に備えた警察予備隊が編成される。