インドで行われた、亡命したチベット人らによる中国への抗議デモ(2020年10月1日、写真:AP/アフロ)

(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 8月下旬、あるネット記事に引きつけられた。見出しが強烈だった。

「日本は素晴らしい…中国とは全然違う」アマ・アデさんからの“遺言” 中国投獄27年、自由訴え続けた亡命チベット「女戦士」(「zakzak by夕刊フジ」2020.8.21)というものである。

 記事を書いたのはジャーリストの有本香氏。えっ、中国投獄27年? 亡命チベット「女戦士」? いったいどういうことか? 武装したゲリラとして中国侵略軍と戦い、27年間中国に投獄されていたチベットの女戦士がいたというのか。

 有本氏は、中国武装公船による連日の尖閣諸島近辺の侵犯、カシミールの中印国境でのインドとの武力衝突などの、緊迫する近隣国外状況を指摘したあとで、「中印両国と深く関係した、ある人の訃報」を紹介していたのである。その人は、チベット人から親しみをこめて「アマ・アデ」(アデお母さん)と呼ばれた、亡命チベット人の「女戦士」、アデ・タポンツァンさん(88)である。

1950年、共産党軍がやってきた

 はじめて聞く名前だ。どういう人なのか。チベット東部の町で暮らす「平凡で幸せな若妻だった彼女は、中国に抵抗する同胞ゲリラ兵に食料を配る活動をしたために逮捕される。それから50代後半までの27年間、心身に、筆舌尽くしがたい拷問を受け続けた」。しかし「奇跡的に釈放され、インドへ亡命した後は、ダライ・ラマ14世法王の拠点であるダラム・サラで過ごし、世界に向けて自身の体験と中国によるチベット支配の実態を発信し続けた」。

 興味をかきたてられたわたしは、記事のなかで紹介されていた彼女の自伝『チベット女戦士アデ』(1999年5月発行)を読んだ。タイトルから、アデは銃を持ってゲリラ戦を闘った「女戦士」と思われたのだが、そうではなく、27年間の拷問や獄中生活に屈することなく耐え続けた「女闘士」だったということである。

 彼女の幼年時代からチベットには中国の国民党兵士がいたが、大したトラブルもなく共存していた。「子ども時代と結婚までの期間は、私にとってすばらしい時代だった」。ところが1950年春、いきなり中国共産党軍が進出してきたのである。それでも「兵隊たちの規律のよさと礼儀正しさに、意外な感じを抱いた」。