文=鷹橋 忍

「ロング・ウォーク」から見たウィンザー城 写真=PantherMedia/イメージマート

築城900年以上にして現役

 ウィンザー城は、その名の通り、ロンドン北西の街・ウィンザーの高台に建ち、テムズ河を見下ろす壮麗な古城だ。イギリス王室が保有する現役の「城」で、現在も王家が使用している城としては最も古い。面積は約5.26haで、世界最大級を誇る。

 起源は11世紀のノルマン征服にまで遡る。1066年にイングランドを攻略したウィリアム征服王が、ロンドンの防衛を目的に、木造の砦を築いたのがはじまりだ。最初は軍事的な目的で築かれたが、王族・貴族の趣味である狩猟に適した森に隣接していたこともあり、まもなく王家の城郭宮殿となり、歴代の王たちによって増改築が繰り返され、現在の姿になった。

 またイギリス王室とゆかりが深く、「ウィンザー朝」は、この城にちなんだものである。エドワード3世(在位1327~1377年)や、ヘンリー4世(在位1399~1413年)はこの城で生まれ、ヘンリー1世(在位1100~1135年)は2番目の妻と結婚の儀を行ったと伝わる。また、何名もの王や王妃が眠る、王室墓廟でもあるのだ。

 現在は、エリザベス女王が休日を過ごす城として有名だ。賓客の歓待の場として、晩餐会などが催されることもある。ウィンザー城は、ノルマン人のイングランド征服と同時期、すなわちイギリス王室誕生と同時期に築城され、900年以上の月日を経て現在に至るまで、重要な役割を果たし続ける城なのだ。

 

最初は木枠と木造の塔だけの簡素な城

 ウィンザー城は、典型的な「モット・アンド・ベイリー」様式の城としてスタートした。「モット・アンド・ベイリー」とは、モット(小山、土塁、マウンド)とベイリー(モットを守る柵囲いした平地、曲輪)からなる城を指す。

 築城当初はモットに木枠と木造の塔を設けただけの簡素なものであった。それをヘンリー2世(在位1154~1189年)が堅固な石造りの城郭に造り替え、さらに、エドワード3世が拡大するなど、何世紀にもわたって、拡張、改装、再建された結果として、チューダー様式、ゴシック様式など様々な建築様式が混在する城となった。

 現在のウィンザー城は、「ロワー・ウォード」、「ミドル・ウォード」、「アッパー・ウォード」の3つの「ウォード」と呼ばれる部分に分かれている。

 まず、城内の中央に位置するミドル・ウォードには、城の象徴である石造の大円塔「ラウンド・タワー」が聳えている。ラウンド・タワーは、1170年代後半に前述のヘンリー2世により建てられ、改築とともに高さを増し、現在では海抜85.3m、テムズ河の水面から65.5mとなっている。エリザベス女王がこの城に滞在中か否かは、このラウンド・タワーを見上げれば、すぐにわかる。なぜなら、通常ラウンド・タワーにはイギリス国旗が靡いているが、エリザベス女王が滞在中は、王室旗が掲げられるからだ。

ラウンド・タワー 写真=PIXTA

 城の西側にあたるロワー・ウォードの「セント・ジョージ礼拝堂」は、ゴシック建築後期のパーペンディキュラー様式の傑作と称されている。パーペンディキュラー様式は「垂直ゴシック」とも呼ばれ、垂直線の強調が特色である。セント・ジョージ礼拝堂も、大きな窓や細く長い支柱が、天に伸びるような垂直線を強く意識させている。美しいファン・ヴォールト(扇状の天井)や、16世紀初めのステンドグラスがはめ込まれ西窓も有名だ。

 東のアッパー・ウォードの「ステート・アパートメンツ(公式諸間)」も、セント・ジョージ礼拝堂と並ぶ、ウィンザー城観光の目玉である。ステート・アパートメンツは、公式晩餐会などが催され、女王の住まいにもなっている。ルーベンスやレンブラントなどの巨匠の絵画、ゴブラン織りのタペストリー、芸術的な家具調度、甲冑類も展示され、女王が不在のときは、寝室や食堂など、内部も見学できる。

 

今もエリザベス女王の安住の地

 エリザベス女王が週末やイースターなどの休日を、ウィンザー城で過ごすのは有名だ。また、国賓をもてなす外交の場であり、女王の父ジョージ6世と、その妻で女王の母・エリザベス王妃、女王の妹・マーガレット王女という、かけがえのない家族が眠る神聖な空間でもある。

 あまり知られていないが、かつては女王の避難場所でもあった。エリザベス女王がまだ王女であった第二次世界大戦中、両親と離れ、妹のマーガレット王女とともに、ウィンザー城で生活していた時期があるのだ。空襲警報が鳴るやいなや、中世では牢であった地下の防空壕に逃げ込んだという。エリザベス女王は、そんな思い出の詰まるウィンザー城を自分の「ホーム」と呼んでいるそうだ。

 現在では休日に城に隣接する王家の狩猟の森であった広大なウィンザー・グレイト・パークで愛馬を走らせたり、子供や孫たちと午後のお茶を共にしたり、犬を連れて散歩したり、時には日光浴を楽しんだりと、ゆったりした時を過ごされるようだ。(『危機の女王 エリザベスⅡ世』黒岩徹)

 ウィンザー城はまた、女王の孫・ヘンリー王子と、その妻メーガン妃にもゆかりの深い城である。夫妻が2018年に挙式したのは、前述のセント・ジョージ礼拝堂だ。夫妻の第一子、女王にとって曾孫にあたるアーチーのお披露目会見が行われたのも、ウィンザー城である。

2019年5月、ヘンリー王子とメーガン妃が第一子をウィンザー城でお披露目。 写真=代表撮影/ロイター/アフロ

 ヘンリー王子夫妻が王室を離脱したのは記憶に新しいが、離脱後も、なにかと話題を振りまき、遠く離れた日本でもたびたび報道されている。今後、夫妻の問題が、故ダイアナ妃のときのような、大きなスキャンダルに発展するのを危惧する者も少なくない。

 エリザベス女王も少なからず、心を痛めているのではないだろうか。せめてウィンザー城でのつかの間の休息が、女王の癒やしになることを祈るだけである。