歌川広重「東海道五十三次 阪之下」

(柳原 三佳・ノンフィクション作家)

 新型コロナウイルスと災害級の猛暑に翻弄された夏休みが終わりました。政府の方針で「GoToトラベルキャンペーン」なるものが展開されたものの、感染者が増加する中、本当に旅をしてよいのか否か、判断に苦慮した方も多いのではないでしょうか。

 そんな中、赤羽国交大臣は9月1日の記者会見で、以下の報道の通り、利用実績は「堅調に来ている」との認識を示したそうです。

<「GoTo」556万人が宿泊 利用は「堅調」と国交相>(2020.9.1/共同通信)
https://this.kiji.is/673376812351276129

「旅に出たい」という思いは、いつの時代も変わらぬ人間の欲求なのですね。

江戸時代、憧れだった「伊勢参り」

 ところで、本連載の主人公である「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」(1829~1877)が生まれた江戸時代の日本は、庶民に対して基本的に「移動」を禁じていたことをご存じでしょうか。

 ただ、例外はありました。幕府は、「お陰参り」と呼ばれる伊勢神宮への参詣と、病気治癒を目的とした湯治への旅だけは認めていたのです。

 とはいっても、今のように電車や飛行機、マイカーといった移動手段があるはずもなく、人々は自分の足で一日約30~40キロを歩いて目的地を目指しました。

 江戸(東京)から伊勢までは最低でも15日はかかったため、健康面、治安面での危険も伴いましたが、それでも人々は「一生に一度は伊勢神宮への旅をしたい」と夢見ていたようで、60年に一度の「おかげ年」にあたる1830年(文政13年)には、なんと420万人を超える爆発的な参詣者を記録したそうです。

 当時の日本の人口が約2700万人だったことを考えれば、令和の「GoToトラベルキャンペーン」は足元にも及ばない大盛況ぶりだったことがわかります。

江戸時代の面影を残す伊勢神宮内宮前のおかげ横丁(筆者提供)