日本の大手新聞は自らの成功体験に縛られ過ぎていないだろうか。時代は大きく変化していることを認識すべきだ

 新型コロナウイルス感染症の影響で人の移動が制限され、経済活動が停滞している。

 中国はその隙を狙うように勢力拡大を意図して行動している。近隣の日本にとっては今までにも増して「内憂外患」の秋(とき)である。

 米中の覇権競争が絡んでいる点からすると、自由主義社会の一員として生きるか、全体主義の傘下で生きるか、価値観の選択を迫られている重大局面であるといった方が適切かもしれない。

 コロナ感染問題が世界を席巻し、日本も国家存亡の危機だと深刻に受け止めた。多くの国民が予想もしなかった死に突然直面するかもしれないと固唾を呑む日々が続いた。

 新聞、テレビでは一家に2枚ずつ配布されたマスクのサイズが小さく届くのが遅すぎたとか、休業補償で政府の姿勢に一貫性がなかった、一斉休校する必要があったのかなど、政権批判ばかりが目立った。

 世界の大勢に比すれば日本の人口当たりの感染者数と死亡者は目を見張るほどの少なさであるが、多くのマスコミは政府対応のまずさばかりを採り上げて論い、国会開会中から続いてきた内閣の支持率低下を意図した報道のようであった。

 総合誌でも8月号(原稿は5、6月頃提出)あたりから「リーダーシップ論」が盛んである。

 執筆者はリーダーの在り方を語っているつもりであったろうが、外国の都市閉鎖などを一意的に勇断とみなし、対比する形で日本政府の優柔とも見える「自粛要請」は「決断力のなさ」、また「Go Toキャンペーン」は「今の時期に」という接頭語を付けてお笑い種的に取り上げているようである。

 日本の現実の法体系や強制を好まない文化、さらには より広い範囲で集めた情報などに基づく政府の慎重な施策、すなわちコロナ対応と経済再活性化の両立のために緊急事態を再宣言しないこと、「Go Toキャンペーン」はあまりに落ち込んだ経済の短期的な再生を目指したものであることなどには言及しない。

 いうなれば勝者の裁判であった東京裁判よろしく、マスコミの政権いじめにしか思えなかった。