東京証券取引所(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 5030億円――。これは米経済誌『フォーブス』の日本版が今年4月末に発表した「日本長者番付2020」において、今年もトップ10内(7位)にランクインした「光通信」の重田康光会長の個人資産額だ。

 重田会長の個人資産は、昨年に比べて1000億円減り、ランキングを一つ落としているものの、1位のファーストリテイリング・柳井正氏や2位のソフトバンク・孫正義氏らの後に続く、日本有数の大富豪であることは間違いない。

裸一貫から大富豪に

 重田氏は親譲りの資産や事業、あるいは高学歴などもない、まさに裸一貫から日本を代表する富豪にまで上り詰めたサクセスストーリーの体現者と言える。

 弁護士を父に持つ重田会長は、巣鴨高校を卒業し、日大経済学部に進学するも中退。1988年に資本金100万円で、OA機器、オフィス電話等の販売及びリース業を目的とする「光通信」を設立した。その後、携帯電話やPHSの普及を機に、携帯電話販売代理店の「HITSHOP」を全国に展開し急成長を遂げていった。

 重田氏は強烈な営業力を武器に、次々に企業を買収しながら、事業を拡大。創業から僅か12年後の99年には、当時としては史上最年少の34歳で同社の東証一部上場を果たした。

 今にして思えばITバブルの波をもっとも上手く捉えたのが光通信だったということだろう。だが、好事魔多し。2000年に携帯電話の架空契約が発覚。メディアからも猛批判を受け、光通信株は20営業日連続ストップ安を記録して、同社は倒産寸前まで追い込まれた。

 しかし、そこからさらに奇跡の復活劇が続いていた。この危機に、重田氏は100億円もの私財を投じて、会社を再建に注力。業績も2004年には黒字に転換。現在に至るまで東証1部の座を堅持している。

 まさに百戦錬磨の伝説の起業家と言えるが、マスコミの取材を受けることはほとんどなくなく、一般的には“物言わぬ経営者”と化している。