タイの民主化運動のリーダー格の一人、弁護士のアノン・ナムパー氏。タイでは過去に例がないような「王室批判」も展開している(写真:ロイター/アフロ)
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(PanAsiaNews:大塚智彦)

 昨年7月、約5年ぶりに軍事政権から民政に復帰したタイで、首都バンコクを中心に「反プラユット政権」を叫ぶ学生や若者らによる民主化を要求するデモや集会が続いてきた。ところがここにきて治安当局の締め付けが一段と厳しくなってきた。この締め付けによって、タイの民主化の芽は摘まれてしまうのだろうか。

 2014年のクーデター以降、軍事政権が続いていたタイは、2019年3月実施の総選挙の結果を受けて同年7月に発足したプラユット政権によって民政に復帰した。

 とはいえ、2014年のクーデターは陸軍司令官だったプラユット首相が主導したものだったし、クーデター決行後の首相も一貫してプラユット氏だったことからも分かるように、現在は民政とはいえとも、軍の強い影響下にある。憲法や議会にしても、軍政時代と大きな変化はなく、言論や報道の自由も制限された状況が続いているのだ。

民主化要求デモの変質

 8月4日の定例閣議でプラユット首相は、前日の3日に約200人の学生らが参加してバンコク市内で行われた反政府デモに対して、「タイ政府は今コロナ対策など多くの重要な課題に直面しており、この時期にさらに事態を悪化させるようなこと、社会の混乱を扇動するようなことは止めるべきだ」と発言して、デモを厳しく取り締まる姿勢を明らかにした。

 実はプラユット首相は、7月からバンコク市内や一部の地方都市で始まった反プラユット政権のデモや集会に対して「タイ社会の将来を考えている若者には配慮しているし、その声を聞く用意がある。若者には集会を開く権利もある」と柔軟な姿勢で一定の理解を示していた。8月4日の閣議での発言は、その方針の転換を意味していた。

 方針転換の理由として指摘されているのは、デモや集会での主張が当初はプラユット政権批判が中心だったのに、途中からそこにワチラロンコン国王や王族への批判、中傷も加わり始めて、「反王室」運動へと変質しはじめたことだ。