(英フィナンシャル・タイムズ紙 2020年8月6日付)

米政府に閉鎖を命じられ大量の書類を燃やしたことで消防車が出動したヒューストンの中国総領事館(7月22日、写真:AP/アフロ)

「データは新しい石油だ」――。

 この主張は2006年に初めて唱えられて以来、乱雑で不可解なことを整然と分かりやすく説明する表現として、主流の議論の場に少しずつ入り込んできた。

 いくら無理があっても、この等式は魅力的だ。

 現代の世界はデータにとてつもない商品価値を付与したという見方は、日々の経験でも確かめられるような気がする。

「データは新しい石油」説の魅力

 ソーシャルメディアで表示される広告は不気味になるほど利用者本人に狙いを定めてくるし、運動靴のメーカーは顧客の朝のジョギングの足跡を追っている。

 職場のアルゴリズムは、人間が生み出したデータから仕事のやり方を覚えてしまうし、米連邦議会の反トラスト法小委員会は、天文学的な額の企業価値を持つ大手ハイテク企業について公聴会を開催した。

 また、米国が中国企業の動画投稿サービス「TikTok(ティックトック)」や通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)を禁止すると脅したり実際に禁止したりしていることは、このたとえが地政学的にも正しいことを裏づけているように見える。

 データは現代経済の血液だと持ち上げることはたやすい。

 石油の場合と同様に、データの保護は国家の優先課題や長期戦略の問題になること、ひょっとしたら紛争を引き起こすことすら想像することができる。

 企業、それこそ世界中のあらゆる産業の企業にとって差し迫った問題は、データと石油のたとえをどこまで文字通りに受け止めるべきか、データをもっと一生懸命保護する必要があるのか、そして、中国の企業(特に国家の支援を受けている企業)ははるか昔にこのことを驚くほど正確に見抜いていたのか、という問いだ。