(英フィナンシャル・タイムズ紙 2020年7月24日付)

ジョン・ル・カレが2001年に発表したスリラー小説『ナイロビの蜂』は、ドイツ企業がケニアで行っている非倫理的な医学研究のことを知りすぎた活動家が殺害される話だ。
ル・カレは、この架空の製薬会社による悪行は実際に行われていることに比べれば「観光地の絵はがきと同じくらい生ぬるい」と述べている。
米国の大手製薬会社ファイザーは、ナイジェリアで1996年に行った髄膜炎治療薬「トロバン」の臨床試験の間に亡くなったり重い後遺症を抱えたりした子供たちの家族に補償金に支払うため、2011年に3500万ドルを引き当てた。
会社側は、亡くなったり後遺症が生じたりしたのは薬品ではなく病気のためだと主張した。
だが、この一件(この種の保障は決して初めてではない)は、試験の設計と、倫理面から行われた検討・試験承認のあり方について、大きな疑問を投げかけることになった。
臨床試験につきものの倫理問題
どこで実施されようと、医薬品の試験には、容易に答えの出ない道徳上の問題がからんでくる。
ひょっとしたら、試験中の薬品には大人数で試験を行った時にしか観察されない、稀だが深刻な副作用があるかもしれない。
ひょっとしたら、その薬は劇的に効くため、偽薬を与えられた対照群の患者たちは無駄に苦しむという結果になるかもしれない、といった具合だ。
「トルネード・チェイス(竜巻追跡)」の要素もある。
製薬会社などは病人がいるところに出向いて試験を行う。ワクチンの場合は特にそうだ。病気が広まっていない環境では薬の有効性を立証できないからだ。