国家主席への就任が決まった2012年当時、西側諸国では、習近平氏とは開明的で、腰が低く、民主主義的思想にも理解のある人物として受け止められていた。しかし、国家主席となってからの言動を見てみると、覇権主義的で、他国に対しても強圧的な態度が目立つ。つい先日は、香港に対し一国二制度を50年間保証していた約束をあっさり反故にしてしまった。なぜ西側諸国は習近平という人物を理解し損ねたのか。彼を理解するうえでカギとなる土地を取材した筆者が、人間・習近平を2回にわたって分析する。(JBperss)

(前編はこちら)35年前、米国ホームステイで習近平が見たあの大河
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61340

青年期は地方で洞穴暮らし

 返還後50年は「一国二制度」を維持するとした約束を反故にし、香港から「自由」を奪おうとする中国の習近平国家主席。

 彼はかつて米国アイオワ州の小さな街にホームステイした先で、「マーク・トウェインの小説を読んで、それに憧れて、ミシシッピ川を一度は見てみたかった」と語っていた。その頃から「自由」に対する憧れがあったのなら、それが、なぜ――。 それを解くカギは、中国内地の“洞窟”にある。私が習近平の生い立ちを追って旅した、もうひとつの重要な場所である。

 習近平の父親の習仲勲は、毛沢東と共に革命戦争を戦い、中華人民共和国建国直後には国務院秘書長兼副総理(副首相)まで務めている。幼少期の近平は、北京にある共産党幹部の子息のための幼稚園、小学校へと通っていた。ともに全寮制で、自宅に帰れるのは週末だけ。いわば革命第二世代として、エリートの道を歩んでいる。

 ところが、9歳の時に父親が失脚する。毛沢東によって監禁され、一家のそれまでの優遇された生活も失ってしまう。もしマーク・トウェインの小説、それもトム・ソーヤーの世界を読んだのなら、この時期までのはずだ。当時をいっしょに過ごした友人が語ったところによると、そこでの暮らしはとにかく豪勢で、本を読むことがなにより好きだったという。ふたりで本を読みあさっていたそうだ。

 それにもうひとつの理由は、そのまま文化大革命がはじまるからだ。

 このとき、毛沢東の指示によって、教育を受けた都会の「知識青年(知青)」を地方の農村地域に送り込み、思想改造と肉体労働に従事させた。すなわち「下放」だ。習近平も最年少の知青として、地方に送られる。その場所が、陝西省延川県の梁家河という谷あいの寒村だった。

 ここの洞窟で青春期を過ごす。正確には「窯洞(ヤオトン)」と呼ばれる住居で、かまぼこ型にくり抜かれた洞窟を、ドラえもんの『どこでもドア』のような玄関ドアで塞いだものだ。