写真・文=山下英介

インドのクラフツマンシップを世界に伝える家具工房、「ファントムハンズ」の職人

再評価された建築家、ピエール・ジャンヌレ

 ここ数年、ファッション業界や音楽業界のトレンドセッターと言われる人々から、「ジャンヌレ」という言葉を聞くことがとても多かった。

 ジャンヌレとは、建築家のピエール・ジャンヌレのこと。有名なル・コルビュジエの親戚であり弟子筋にあたる人物である。コルビュジエが1950年代にインドのチャンディーガル市からの依頼でその都市計画を手がけた際に、ジャンヌレは現地で監督を任されたのだが、その際に彼がデザインした家具が2010年代後半に入ってから大ブレイク。フランスの大物ギャラリストから再評価されたことによって、ちょっと前までは現地で薪がわりに使われていたその椅子やテーブルは、最低40万円、モノによっては100万円を優に超える価格で取引されるようになったという。

 僕はそれほど家具に造詣が深いほうではないが、この椅子の魅力には一目で虜になった。デザインそのものはコルビュジエの椅子にも通ずるモダンで構築的なものなのだが、こちらは金属ではなく、チーク材やラタンといったアジア原産の自然素材でつくられているから、スタリッシュだけれど人間的な温もりがある。だからこそ見ていて飽きないし、さしてお洒落とはいえない僕の小さなマンションにもよく似合う。そして明らかに部屋の「格」をワンランク上げてくれるのだ。

筆者が所有するピエール・ジャンヌレの〝ファントムハンズ〟製リプロダクトチェア。ヴィンテージも多く取り扱っている、「カサ デ」というファニチャーショップにて注文が可能だ
https://www.gallerycasade.com

インドの家具工房「ファントムハンズ」との出合い

 ともあれ椅子一脚に大枚を叩くほどの身分ではないので、僕が選んだのはいわゆるリプロダクト品であった。えてしてリプロというと、少々まがい物感が付きまとってしまうが、僕が買った「ファントムハンズ」という工房の製品は一切のアレンジを施さず、オリジナルの図面だけを用いて忠実に再現したもの。製作方法もほぼ当時を再現した、インドの手仕事の粋が詰まった工芸品だという。値段は1脚26万円(2020年現在)。もちろんヴィンテージにも憧れるけれど、こういったものが現代でもつくり続けられていることのほうが、僕にとってはエキサイティングな現象なのだ!

 そんな思いでこの家具に注目していたところ、昨年秋に〝ファントムハンズ〟の経営者であるディーパク・スリナムさんと出会い、お話を伺う機会に恵まれた。かつては金融にまつわるアドバイザーを務めていたという、インテリジェンスあふれる紳士。彼は「100%ハンドメイドによるものづくり」が可能なインドという国のアドバンテージを見出し、それを現代的なやり方で世界に伝えることでさらなる発展を目指す、実にクレバーかつ情熱的な経営者であった。

 そう、お腹が非常に弱いこの僕がはじめてインドを旅したのは、この工房を見に行くという目的があったからなのだ!

バンガロールに郊外にある〝ファントムハンズ〟のオフィス。ジャンヌレ以外にもインド製のヴィンテージ家具が飾られており、意外にもシックなセンスに驚かされる

職人の新しい〝生態系〟

 〝ファントムハンズ〟が工房を構えているのは、ジャンヌレが活躍したチャンディーガルではなく、〝インドのシリコンバレー〟といわれる南部のIT都市、バンガロールであった。

 空港でタクシーをつかまえて、スターバックスなどのチェーン店が居並ぶ整然とした街並みを30分ほど走ると、道路の舗装が途切れ、急に牧歌的な村落が見えてくる。その中に洒落た小さな社屋とプレハブづくりの数棟の工場を構えているのが、「ファントムハンズ」だ。この日僕を迎えてくれたのは、ディーパクさんの妹であるニッティアさん。ディーパクさんはこの日ムンバイにて「U2」のライブに行っていたため、残念ながら取材に立ち会っていただくことは叶わなかった。

広々としたスペースでものづくりが行われている、〝ファントムハンズ〟の工房。ジャンヌレのリプロダクト製品をつくる「プロジェクト・チャンディーガル」だけではなく、オリジナルやアーティストとのコラボレート製品もつくっている

 ニッティアさんの案内でひととおり見学させてもらったのだが、「ファントムハンズ」の工房は、確かにディーパクさんが言っていたとおり「100%ハンドメイド」だった。もちろん電動のノコギリなどを使うこともあるが、コンピューターの類は一切ない。木材の切り出し、加工、やすりがけ、着色、ラタンの編み込み、クッションの縫製……。すべての工程が、職人の手で行われている。

 しかも驚かされるのがその手際のよさ。写真ではわからないが、無駄がないうえに恐ろしく〝手が速い〟のだ。

ラタンの紐を編み込み、座面をつくっていく工程。非常に細かくかつスピーディな動きに圧倒される

 聞けばディーパクさんはこの工房をつくるために、それぞれの分野において長いものづくりの歴史をもつ名産地から、腕利きの職人たちを呼び寄せたのだという。しかも木工ならジャイプールの大工集団を、座面のラタン編みならカライクディ州の家族を……といった具合に、コミュニティごと移植することで、このバンガロールの地に新しい職人の生態系をつくったというわけだ。

仕上げの工程。塗装にすこしでもムラがある場合、筆を使ってていねいにレタッチが施される。「インド製品」のイメージが覆される繊細さだ