(英エコノミスト誌 2020年5月2日号)

小学校は社会移動性にとって特に重要だ。
オランダ・アムステルダムの街中では、子供たちがキックスケーターで走り回って「コロナ・ホリデー」を過ごしている。
スペイン・マドリードの子供たちはほとんどが家にこもり、ビデオゲームに興じている。セネガルの首都ダカールの子供たちは、妹や弟たちの面倒を見ている。
子供たちがいない唯一の場所が、学校だ。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)によれば、世界には学校に通う年齢の子供がざっと15億人いるが、現在はその4分の3以上が教室から締め出されている。
中国のほとんどの地方と韓国では、登校できない状況が今年1月から続いている。ポルトガルや米カリフォルニア州では、子供が学校に姿を見せるのは9月になる。
学校は、戦争の時も飢饉の時も、さらには嵐の日でさえも、授業を続けようと努めてきた。裕福な国々で今日行われている学校閉鎖は、その規模と長さにおいて文字通り前例がなく、そのコストは背筋が寒くなるほど大きい。
短期的には、子供の面倒を見なければならないために親の生産性が頭打ちになる。しかし、長期的にはそれをはるかにしのぐコストが、大量の学習の欠如によってもたらされる。
そしてそのコストは、教育を最も必要としている子供たち本人の肩に最も重くのしかかる。何らかの介入をしなければ、その悪影響は生涯続きかねない。