(英エコノミスト誌 2020年4月4日号)

日没を迎える万里の長城

中国について語る外国人は、実は自分自身について語っていることが多い。

 中国について文章を書く者にとって、マルコ・ポーロは驚くほど怪しいロールモデルだ。

 このベネチアの商人がアジアに渡り、中国を支配していたモンゴルの王朝・元のフビライ・ハンに17年間仕えたなどと記した旅行記を出版してから7世紀になる。

 そこには中国という国が、無慈悲だが効率的な独裁国家として、驚くほど有望な市場として、そして大都市と疲れを知らない働き手たちの土地として描かれている。

 また、中国はあまりにも孤立しているために3人の器用なヨーロッパ人――ポーロ本人と、同行していた父と叔父――が大きな投石機を一式製作し、フビライ・ハンが戦で勝利を収めるのに貢献できたとの記述もある。

 これは合弁事業による技術移転のはしりだ。

 ポーロがこのように驚嘆と恐怖、そして他者を軽く見る西洋人の態度も少し混ぜて中国を描写したことは、中国について書く時の1つのパターンとして捉えられ、その後700年間もほかの書き手によって踏襲されることとなった。

 しかし近年、一部の優秀な歴史家たちが、ポーロの中国冒険譚はでっち上げか、アラブやペルシアの商人から聞いた話を借用したものではないかという議論を始めている。

 ポーロは揚州の市長にもなったと書いているのに、彼について記した史料がモンゴルにも中国にも見当たらないのは奇妙だし、旅行記が茶や箸、書道、纏足(てんそく)、万里の長城などに一切触れていないのもおかしい、というわけだ。