「気が集まれば即ち生、気が散ずれば即ち死」。何千年も前からその存在は明確に捉えられてきた

『荘子』に「気が集まれば即ち生、気が散ずれば即ち死」という表現がある。

 宇宙には「気」と呼ばれるエネルギーに満ち溢れ、それが高濃度に集まれば生命となり、拡散すれば死を意味する。

 世界は「気」に満ち溢れ、それがすべてに影響を及ぼしている、という思想は仏教伝来前に日本に伝わったともいわれ、その後、仏教、儒教、道教、漢方などの医学が浸透し「気」は人々の日常の中に存在していた。

 かつて科学は、人知を超えた法則や偉大な存在を探求すべく発達してきた。

 明治維新以前、人間の身体には「気」が流れているというのは常識であった。

 また、現代においても中国大陸や香港、台湾、シンガポールなど「気」は東洋哲学の中心的な考え方であり、何千年も前からその存在は明確に捉えられてきた。

 密教の修法には5種類の結界法がある。

 それは人間の心、想念が外界の魔性と繋がっていると捉える。

 すなわち、人間の想念、つまり、心が神仏や魔性の通路であり、心が清ければ神仏が通り、心が濁れば魔性が通る。人間の心も、神仏、魔性もすべては有性であり、有性とは「気」そのものである。

 日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士は随筆集『目に見えないもの』に「物みな底に一つの法ありと 日たけに深く思ひ入りつつ」と詠んでいる。