自衛隊幹部に向け来賓講演を行う野村克也氏(2010年1月、写真:アフロ)

 沙知代夫人が亡くなったあと、野村克也元監督(「ノムさん」では気安すぎる)は腑抜けのようになった。ちょっと意外に思い、どうしてだろうと気になった。

 ときどきテレビのスポーツ番組などで見かけることはあったが、以前のような活気や活力は感じられなくなった。野球のワンポイント解説の仕事なども、しかたなく応じているように見えた。無理もない。長年連れ添った夫人を失ったうえに、年齢も80歳を超えていたからである。

 野村元監督といえば、投球論や野球論で独自の理論を確立し、理論派とみなされた人である。データを重視した「ID野球」という言葉は野村の代名詞となり、落ち目の選手を復活させる手腕は「野村再生工場」と評された。わたしはIDをずっとidentificationの略語だと思っていた。そうではなくてimportant dataの略だった。

 野球だけではなく、組織、リーダー、人間の成長、人生までも縦横に論じて百冊以上の書籍を著し、その多くはベストセラーになった。監督としてリーグ優勝4回、日本一3回という実績は、かれの言葉の立派な裏付けとなった。

「さびしい、たださびしいだけ」

 それだけに、夫人の死後のあまりの落胆ぶりや脆さは意外だったのである。臆面もなく「さびしい」とテレビで公言した。「さびしい、たださびしいだけ」「女房がいなくなって初めてわかるね、男の弱さが。それをいま痛切に感じて毎日生きてますけど、だれもいないモヌケのから」「“おかえり”って声がかかるのとかからないのじゃ、全然違うわね」(「目撃! にっぽん ひとりを生きる―野村克也84歳」2020.2.2。NHK)。こうまであっけらかんといわれると、むしろ清々しい。

 周りに人がいればさびしさもまぎれただろう。だがかれは夫人の死後、息子の克則家族とは同居しなかったようである。住み込みのお手伝いさんがいたというが、詳しいことはわからない。自分で自分を孤独に追い詰めたようなところがある。

「男は弱いものだなとお前がいなくなった今、しみじみ感じている。だれもいない家に一人でいるのは、さびしくて仕方ない。いるとうるさいと思ったのに、いないとさびしいんだ。(略)今も家に帰ったとき真っ暗だとさびしくて、電気をつけたまま家を出てるよ」(『野村克也からの手紙――野球と人生がわかる二十一通』ベースボール・マガジン社)。自宅にはいたる所に沙知代さんの写真を飾った。「これからどう生きていけばいいのか」と途方にくれた。