「マスクをしないで頑張る」など許されることではない

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「私はマスクをしないで最後まで頑張ろうと思っている」と発言し、矢の批判を浴びたことは記憶に新しいところでしょう。

 2月21日、東京五輪2020のオフィシャル・スポーツウエア発表会の場での発言とされています。

 マスクをしないことを「自分の身を守るためのマスクをあえて着用せず、最後までリスクに身をさらして頑張る」というようなニュアンスで発言している様子でした。

 さてこの「森マスクしない発言」 あえて感染症の予防という観点から「避妊具」になぞらえて考えてみると、問題点が浮き彫りになるように思うのです。

 あくまで学術的なポイントを分かりやすく強調するためで他意はありませんが、「私はコンドームをつけないで最後まで頑張る」という表現があったとして、そこにはどのようなリスクを指摘することが可能でしょうか?

「予防具感覚」のコンドーム
性感染症とサックの歴史

 紀元前、古代エジプト時代にも例がみられるというコンドーム、サックの類ですが、これが急速に普及したのは「グローバリゼーション」の影響によると考えられます。

 といっても、この場合は「性のグローバリゼーション」で、1492年からのコロンブスらの船団のアメリカ大陸到達によってもたらされた(とされる)「梅毒」の欧州での流行が大きい。

 早くも1494-95年にはイタリアのナポリで大流行。人間の「濃密接触」がどのようなネットワークを形成していたかが、結果的に現象において確認されるものと言えそうです。

 この梅毒流行、ルネサンスでは先進国であったイタリアで、宗教改革の激動時代を生きた医師・解剖学者のガブリエレ・ファロッピオ(1523-62)が、性病に対する予防策として提案したのが、今日でいうコンドーム相当の、リネンで作られた「鞘」サックでした。

 近代におけるこの種の道具の曙と考えられています。ただし、ガーゼや包帯同様のリネン製であることから、効果は当時から疑問視されていたようです。