台北市の夜景

人道問題は国家間関係を超越する

 人質事件などが発生した場合、国家間関係を超越して救出などが行われてきた。

 中国が台湾との「一つの中国」原則にこだわり、武漢にいる台湾人の救出を拒否するのは勘違いも甚だしいのではないか。

 自国が新型コロナウイルスの発生地であり、それによって肺炎にかかる危険がある人物の脱出を認めないというのは何という傲慢であることか。

 受け入れない理由として「台湾民衆の感染者はいない」というが、過去のSARS(重症急性呼吸器症候群)をはじめとする数々の事例や中国政府の報道姿勢から、中国発表の信頼性が低いことは自国の過去の言行が招いた自業自得である。

 台湾人自身が台湾へ帰りたいと言っているわけで、人質ではないのだから、中国は台湾の判断を優先して協力するのが筋であろう。

 そればかりでなく、発熱など外見的に罹患していなくても、潜伏が考えられる。その点からも、中国の拒絶は納得を得られない。

 これは「一つの中国」という国家のあり様の問題ではなく、差し迫っているコロナウイルスの感染という人道問題であろう。

 しかも、東京五輪が6か月後に控えている。成功させるためにも、日本が近隣国に手を差し伸べることは至極当然ではないだろうか。

日本が先導した普遍的原理

 日本は今日の普遍的原理ともなっている奴隷解放や人種差別撤廃、さらには植民地廃止などを先導してきた輝かしい歴史を有する。

 米国のリンカーン大統領は南北戦争さなかの1863年1月1日、黒人奴隷の解放を宣言した。戦争目的が奴隷解放であることを示して国際世論の支持を得て北軍有利に転換させたとされる。

 どこまでも戦争の駆け引きの方便として奴隷解放を宣言したが、ゴールドラッシュや大陸横断鉄道に多大の労働力が必要で、黒人以外の奴隷は解放されなかった。

 その多くが中国人の苦力(クーリー)であった。