東京大学の赤門(撮影:川嶋諭)

 1945年の1月27日、ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所が解放されてから、満75年目を迎えました。

 今年2020年は、第2次世界大戦の終戦からも、広島長崎への原爆投下からも、また、ナチス・ドイツの滅亡と強制収容所での犯罪が明るみに出てからも75年を迎える節目の年にあたります。

 思い返せば、戦後60年という節目に当たる2005年、東京藝術大学奏楽堂でメモリアル・コンサートを開きましたが、あれからすでに15年。

 そして、この間、この歴史の事実を知る人の多くが、この世を去ってしまいました。

 いまや終戦の瞬間に生まれた新生児ですら、日本の厚生省式の表現を採るなら「後期高齢者」という時間の経過。

 私のコラボレーターでもある映画監督、詩人のフランク・ダイアモンドはベルゲン・ベルゼン強制収容所を6歳で解放されたホロコースト・サバイバーですが、幼児期の原体験のいまだ深く引きずっています。

 それどころか、戦時中は生まれていないホロコースト・サバイバーⅡ世でありながら、環境遺伝的に強制収容所のトラウマを負って、最近、自ら命を絶ってしまった知人すらあります。

 欧州において、ホロコーストも強制収容所も全く過去の話にはなっていません。

 そんななか、SNSで東大理系院修了の30前後の青年が「アウシュヴィッツを知らない」という話を目にしました。

 ただただ仰天せざるを得ない、そのアウトラインを紹介してみたいと思います。