タリバンに攻撃されたバグラム米軍空軍基地を警備するアフガニスタンの治安部隊(2019年12月11日、写真:AP/アフロ)

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 12月4日にアフガニスタンから入ってきた悲報は衝撃だった。長年にわたって現地で人道支援にたずさわっていた民間NGOペシャワール会の現地代表の中村哲医師が銃撃され、殺害されたのである。

 アフガニスタン国民から広く敬愛されていた中村医師。志半ばでの死は、本人にとっては、さぞ無念だったのではないか。

 中村医師の長年にわたるアフガニスタンでの人道支援活動に心から感謝するともに、この場を借りて哀悼の意を表します。合掌。

アフガン情勢の悪化は「9.11」以前から

 いまなお安定とはほど遠いアフガン情勢。2001年の「9.11テロ」の報復から始まった米軍は撤退できないまますでに19年となっており、米軍史上最長のものとなっている。

 ブッシュ(ジュニア)政権時代の米国がテロの報復としてアフガニスタン攻撃を開始したのは、テロを企画実行したアルカーイダのウサーマ・ビン・ラーディンが現地のイスラーム主義勢力タリバンに客人として匿われていたからだ。

 アフガニスタンからの米軍撤退を公約に掲げたオバマ政権になってから、米軍関係者の死傷者を減らすために、米国内の基地からの遠隔操作によるドローンを使用した空爆が大々的に採用されている。だが、誤爆によって多数の一般人に被害をもたらしており、米国に対する怒りの感情が現地に根強く存在する原因となっている。米軍は2011年にビン・ラーディンをパキスタンの潜伏先で殺害しているが、アフガニスタン情勢は依然として不安定状態が続いている。

 トランプ政権も治安維持にあたっている米軍の撤退を公約しているが、いまだに撤退への道筋はついていない。現地情勢を不安定化させているのは、「自称イスラーム国」(ISIS)の残党勢力が存在するためだ。一説によれば、中村医師殺害はISISが実行したという。

 ペシャワール会は、もともとパキスタンでハンセン病対策を中心に医療活動に取り組んでいた中村医師を支援するために1983年に結成されたものだ。パキスタンでの活動は1984年から、隣接するアフガニスタン北東部での活動は1986年から開始している。復興支援活動は、2001年の「9.11」のはるか前から始まっていたのである。

 現代史においてアフガニスタンが紛争地になった発端はなにか。それは、1979年末に始まったソ連軍の軍事侵攻である。

 このことでソ連は激しい国際的非難を浴び、翌年1980年のモスクワ・オリンピックは西側諸国によってボイコットが行われている。長期化したアフガニスタンへの軍事介入は、最終的に10年の長期に及んだ。その後、2001年から米軍の介入が始まったのである。