修復作業の進むノートルダム大聖堂(2019年10月17日、筆者撮影)

 10月31日未明、那覇の首里城が全焼しました。

 4月15日のノートルダム大聖堂火災以降、国は歴史的建造物の防火体制を強化していましたが、1992年に再建されたレプリカである首里城は、その対象から漏れていました。

 火災の原因は、本稿執筆時点(11月3日)まだ解明されていません。ただ、施錠された正殿内部からの不審火であることはほぼ間違いないと見られます。

 インターネット上には「自分が放火した」といった愉快犯の「ネタ」など、不謹慎な情報も流布しているようで、適切に取り締まる必要があるかもしれません。

 火災の原因はその究明を待つとして、ここで私が強調したいのは<「首里城全焼」の政治的利用>は、絶対にすべきではない、という一点に尽きます。

 以下の原稿は10月20~22日、パリで書いた、エマニュエル・マクロン仏大統領による4月の「ノートルダム火災」の政治利用が目に余る。という現地でのクレームをご紹介したものです。

 24日の「身の丈」発言、25日からの大雨で緊急出稿が相次ぎ、10日以上公開が遅れていたものです。

 ところがその間、首里城全焼というありうべからざる事態が発生し、補筆している次第です。

 くれぐれも、3か月後、半年後になって、いまマクロン大統領が非難されているような被災の政治利用が発生しないように、心から祈らざるを得ません。