イエズス会の宣教師マテオ・リッチが中国で刊行した「坤輿万国全図」(Wikipediaより)
拡大画像表示

 16世紀のヨーロッパで、宗教改革によってプロテスタントが誕生すると、カトリック教会にはその動きに対抗する必要が生じました。そこで、カトリックが始めたのが「対抗宗教改革」です。その中核を担ったのがイエズス会でした。

 イエズス会は、世俗化した教会内の悪習を改め、カトリック改革を推し進めます。一方で、それにとどまらず、教育機関の設立と運営に積極的に乗り出しました。イエズス会の学院では、神学や哲学だけでなく、科学も教えていました。後にそれらの知識は、彼らが宣教師として赴いた東洋に、大きなインパクトを与えることになります。イエズス会が世界史に大きな影響を及ぼすようになるのは、そうした理由もありました。

イグナチウス・ロヨラとイエズス会創設

 イエズス会は、カスティーリャ王国領バスク地方の修道士・イグナチウス・ロヨラ(1491~1556)とその仲間によって設立された男子修道会です。

 ロヨラは、スペインのバスクのロヨラ城の城主の子として生まれます。ロヨラは元来は軍人でしたが、1521年、パンプローナの戦いの際に砲弾が足に当たって負傷したため、父の城であるロヨラ城で療養生活を送ることを余儀なくされました。この戦闘が原因で、ロヨラの足は一生不自由になります。

 この療養生活の時に、暇を持て余していたロヨラは、『黄金聖人伝』と『キリスト伝』を読み、大いに感銘を受けました。そして、自らキリストの兵士となり、聖地に赴いて非キリスト教徒を改宗させようと決心したのです。それほど『黄金聖人伝』、『キリスト伝』との出会いは、彼にとって衝撃的だったのでしょう。ちょうどこの頃、ドイツでは宗教改革がはじまっていました。カトリックであるロヨラも、恐らくその行方を気にしていたものと推測されます。