新しいiPhoneの発表は、常に大きな話題となる。先日もiPhone11が発売され多くの人がショップに列をなした。それはブランドに対する信頼の証であろう。しかし、この現象はいつまで続くのか?続けるためには何が必要なのか? そのこたえは人気シャンパーニュ・ブランドにあるのかもしれない。

 

すべてiPhoneのようなものになった

 9月10日、日本時間だと9月11日、Appleがスペシャルイベントを開催して、iPhone 11とApple Watch Series 5、新しいiPadを発表した。

 日本では登場しなかったiPhoneのオリジナルモデルが登場したのは2007年。以来、スマートフォンはすべて、iPhoneのようなものになった。

 iPhoneは新しかったのだろうか? 0から1を生み出した発明だっただろうか? そうではないと思う。それまでも、多機能な携帯電話はあった。タッチパネルで操作できるコンピューターもあった。ハンドヘルドのネットワーク端末もあった。iPhoneはそれら、それまであったものを、ひとつの、とてもステキなパッケージにおさめた製品だった。iPhoneには確かに技術的に新しいところがあったけれど、それでもぼくは、技術的に新しいこと、機能の多さ、性能的に優れていることが、iPhoneを持つ喜びの本質になるとは思わない。iPhoneはむしろ、コロンブスの卵に近いものに思える。

 そして、それが革新だったと思う。ぼくたちには見えておらず、Appleには見えていた、ほんのちょっとした変化が、iPhoneが欲しいとぼくたちに思わせた。ゆえに、世界中の携帯電話は、iPhoneのようなものへと変わっていったのではないだろうか。本当にAppleにしか出来ない技術の結晶ならば、類似の製品など、当分未来まで登場しなかっただろう。

 初期のiPhoneはiPhoneが想像させた理想のiPhoneには、まだ技術的に到達していなかった。そしてiPhoneは、年々、理想のiPhoneに近いものへと成長した。iPhoneの新世代には、必然性が感じられた。ぼくたちはワクワクしてそれを待った。iPhoneはスマートフォンのリーダーだった。

 はたしてそれでは、9月10日に登場したiPhone、あるいはここしばらくのiPhoneはそんな革新的リーダーだろうか。ぼくは残念ながら、そこまでのものであるには、やや弱いと感じている。iPhoneは、Appleは、まだまだ、影響力のある存在であり続けるだろう。ぼくたちはiPhoneやAppleの製品を欲しがるだろう。しかし200年後、他の類似の製品ではなく、Appleのそれが欲しいというエモーションが続くだろうか。おそらくそんな風に考えさせてくれる企業はコンピューターの世界でAppleをおいてほかになく、だから、ぼくはAppleの今後に注目し、期待もしている。

 

ジャン=マルク・ギャロさんへのインタビュー

 そんなことを考えたのは、その翌日に、ぼくはヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社の代表取締役 CEO ジャン=マルク・ギャロさんのインタビューをしたからだ。

 ギャロさんは、同社のインターナショナル マーケティング&コミュニケーション ディレクター キャロル・ビルデさんとともに来日し、「ヴーヴ・クリコ ビジネスウーマン アワード」という賞を、9月12日、ふたりの日本人女性起業家、株式会社メディヴァの大石佳能子代表取締役、そして、株式会社シナモンの平野未来代表取締役CEOに贈った。

「200年前、クリコ夫人はフランスで偉業をなし、いま私たちはここにいます。自信をもち、大胆であれ。夢に向かって進め」

 ギャロさんは、賞とともに、そんなエールを女性起業家に贈った。ヴーヴ・クリコは、これまで27カ国、350人以上の女性起業家に、ビジネスウーマン アワードという賞を贈り、200年前にヴーヴ・クリコを率いた経営者であり、ヴーヴ・クリコの原点をつくった女性、クリコ夫人の後輩たるビジネスの世界で生きる女性の志を支持している。

「きっと、クリコ夫人でも、おなじことをしたはずです」

 キャロル・ビルデさんは、授賞式のスピーチで、そう言った。

 シャンパーニュの代表的産地、エペルネとランス。エペルネにはモエ・エ・シャンドンがあり、ランスにはヴーヴ・クリコがある。この2つのシャンパーニュのメゾンが、発泡するワイン、シャンパーニュを牽引する最大の雄だ。しかし、ヴーヴ・クリコについては雄という字は妥当ではないかもしれない。

 ヴーヴ・クリコは1772年にフィリップ・クリコという人物が、シャンパーニュ地方のランスに設立した「クリコ」に起源がある。実業家のフィリップは、紡績業、銀行を営み、シャンパーニュにブドウ畑を持っていた。クリコのシャンパーニュ事業は、ロシアを中心とした海外の市場を開拓することで成長した。そのフィリップの息子、フランソワは、1798年に、やはり紡績業を営み、政治家でもあったニコラ・ポンサルダンの娘、バルブ=ニコル・ポンサルダンと結婚する。フランソワは、1801年にフィリップの跡を継ぐと、シャンパーニュ事業に情熱を傾けるのだけれど、1805年に亡くなってしまう。このとき、会社を引き継いだのが、当時27歳のバルブ=ニコル・ポンサルダンだった。

 

無謀で無思慮な行為だと思われた

 当時女性が、国外でビジネスを展開する企業のトップに立つのは例外的なことだった。それは、無謀で無思慮な行為だと思われた。クリコ夫人ことバルブ=ニコル・ポンサルダンが事業を引き継いでしばらくは、苦難が続く。ナポレオンの時代であり、得意先であるロシアとフランスとの関係は緊張感のあるもので、何度かの社名変更ののち、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社と名乗っていた会社は倒産寸前にまで追い込まれた。1814年、ナポレオンの退位が起死回生のきっかけとなり、ヴーヴ・クリコは復活をとげる。ロシアの対仏禁輸措置の緩和とともに、ロシア市場に社運を賭け、送り込んだシャンパーニュが、見事、成功をおさめたのだ。以来、マダム・クリコは傑出した経営者として、その才覚を認められる。

 さらに彼女は、現在でもシャンパーニュ造りで使われる道具、動瓶台、シャンパーニュのロゼで一般的になされる製法、赤ワインをブレンドしてロゼシャンパーニュを造るブレンド法の発明者でもある。そして、慧眼の持ち主で、彼女の選んだ畑は、後にシャンパーニュでも最高の畑と認定されている。

 味わいに優れ、澄んで美しいヴーヴ・クリコのシャンパーニュと、それを売る優れた経営判断。クリコ夫人は、シャンパーニュの偉大なる女性(ラ・グランダム)として伝説的な存在となる。あるいは、フランス語風に、不死の存在になった、と言ったほうがいいかもしれない。

 今日のブランド名、ヴーヴ・クリコは寡婦のクリコ、つまり未亡人となったクリコ夫人を意味し、そのトップに君臨するシャンパーニュはラ・グランダムという。クリコ夫人はいまも、ヴーヴ・クリコに生きている。

 先述のヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社の現在の代表取締役CEO ジャン=マルク・ギャロさんは「ヴーヴ・クリコは250周年を迎えようとしています。この250年が成功の歴史であったように、このあとの250年も成功し続けます」と、傲慢ともいえるほどの発言をしたあとで、それをこんな風に説明した。

 

クリコ夫人が遺した精神をもっている

「なぜそんなことを言えるか、ですか? 私たちは、クリコ夫人が遺した精神をもっているからです」

 ギャロさんはその精神を、「挑戦的で、自信に満ち溢れ、革新的であること」だとする。

「志をもつこと。さらに良くなろうとし続けること。今日のヴーヴ・クリコ イエローラベルは、史上最高のイエローラベルです。私が冗談を言っていると思うなら、イエローラベルをお飲みください」

 この自信は、なにも、ギャロさん一人の持ち物ではない。ヴーヴ・クリコのスタッフは、いつだって「私たちにはクリコ夫人がいるから」、「クリコ夫人もこういう判断をしたとしか思えないから」と真顔で言うのだ。ギャロさんが女性企業家に贈ったエールのなかにある「私たちはここにいます」という言葉も、もしも、その長い歴史のなかで、クリコ夫人の承服しないようなことをしていれば、クリコ夫人の精神はヴーヴ・クリコになく、彼ら、彼女らはここにはいない、という意味でもあると思えてならない。

 ある農家が、サステイナブルという言葉が難しいなら、100年後も私たちが存在しているにはどうしたらいいか考え、行動すること、と言い換えればいい、とぼくに教えてくれた。ヴーヴ・クリコは200年以上、存在している。

 他の類似のなにかよりスペックが優れているから、より美しいから。それは所有する喜びにつながるだろう。しかし、味わいに優れ、美しく澄んだ発泡するワインは、今日、ヴーヴ・クリコにしかないわけではない。ヴーヴ・クリコを飲む本質的な喜びは、200年以上の時を生きるシャンパーニュの不死の才女の、最新にして最良の今に立ち会えている、というエモーションにあると、ぼくは思う。