1972年8月19日、軽井沢の万平ホテルでキッシンジャー米国大統領補佐官と会談する田中角栄首相(写真:AP/アフロ)

 1985年(昭和60年)2月27日午後5時半ごろ、田中角栄が東京・目白台の私邸で倒れた。この日、ゴルフの予定を取りやめ、「調子が悪い・・・」と昼寝をしていた。夕方になって寝床から出ようとしたが身体が動かず、よろよろして立ち上がれない――。

 田中がウイスキーの飲み過ぎで脳梗塞となり、政治生命を失ったことはよく知られている。「運命の日」となった2月27日の様子は、元秘書の手記、田中に近い政治家の回顧録、政治記者の著作など多くの記録から詳細が明らかになっているが、「飲み過ぎで倒れた」ことはほぼ間違いない。

 竹下登が、梶山静六や小沢一郎とともに「創政会」を発足させたのが20日前の2月7日で、この前後から田中は連日連夜、怒りに任せて朝から晩まで酒をあおり続けた。創政会旗揚げに対する田中の怒りは、いくら飲んでも静まることなく、ついに政治的な死に至るのである。

 この出来事から、田中は「酒で寿命を縮めた」とのイメージが強い。

 だが、本来の行動はそれとは異なる。

 田中は、外ではなるべく飲まないように気をつけていたことはあまり知られていない。

宴席で飲まない田中角栄

 通産大臣秘書官、首相秘書官として田中に仕えた小長啓一の証言をまとめた『田中角栄のふろしき 首相秘書官の証言』(前野雅弥、日本経済新聞出版社)にこんな記述がある。

<午後六時、七時、八時―。角栄はほぼ毎晩、三つの宴席をこなした。時間はそれぞれどんなに長くても一時間が限度。時間がくるとさっと切り上げる。オーバーすることはほとんどなかった>

<角栄の酒席はいつもニコニコ、ワアワア。話題を上手に選びながら、明るく賑やかだったが、ほとんど飲まない角栄自身は決して乱れることはない>

<特に宴席だ。いずれの席でも角栄自身が酒を飲むことはほとんどなかった。自分は飲まずに相手につぐ。徳利を持ち、一人ひとり客についで回るのだ>

 意外に思われた方が多いだろう。田中は宴席では飲んでいなかったのだ。そもそも、田中は午後10時には就寝し、午前2時ごろに起き、明け方まで資料を読むなどの勉強に勤しんでいた。国会答弁や記者会見に備えての準備だった。「コンピューター付きブルドーザー」の努力である。酔っ払うまで酒を飲む時間も余裕も、全盛期の田中にはなかった。

 政治家が酒を飲みながら会合を行い、政局や政策が動く――。

 われわれは当たり前のようにそう考えており、「政治家は酒を飲まないと務まらない」という先入観を持っている。確かに、酒豪といわれる政治家はたくさんいるが、その一方で力を持った政治家、議席を長く維持している政治家ほど、酒と距離を置いている。

 田中は、まさにその代表例だった。残念ながら、最終的に酒にやられてしまったのだが。

酒を控えて政局を制する小沢一郎

「小沢幹事長はせいぜい熱燗一、二合で終わり。そもそも、大事な場面では飲まない。飲むときは懸案が片付いているとか、一息ついているとか、そういうときだけ」

 2009年9月に発足した鳩山民主党政権で、与党トップの幹事長として君臨した小沢一郎の元側近の証言である。

 小沢は鳩山政権下の党幹事長として絶大な力を誇った。当時、ほぼ連日のように小沢は側近議員らと夜の会合を重ねていたが、その酒量の少なさには誰もが驚いたという。小沢は1992年、狭心症で入院している。以後、体調管理のため酒を控えるようになるが、もともと小沢は深酒をしない上、政局の大事な場面では酒を飲まない。会合の予定も入れない。「飲むと判断を間違うから」(元秘書)というのがその理由だ。