9月11日、内閣改造後の記者会見に臨む安倍晋三首相(写真:ロイター/アフロ)

 第4次安倍再改造内閣が9月11日、発足した。メディアは小泉進次郎環境相に釘付けとなっており、話題づくりという意味で一定の成功をおさめた改造人事といえる。

 さて、安倍晋三首相の自民党総裁任期は残り2年となった(2021年9月末まで)。今後、憲法改正に向けた動き、衆院解散のタイミングが政局のポイントとなるが、最大の関心事はやはり「次期首相は誰なのか」に尽きる。

 結論から言えば、次期首相は菅義偉官房長官になる可能性が高い。今回の改造人事でも、菅氏に近い無派閥議員が次々に入閣するなど追い風も吹く。本稿では、菅氏が次期首相に最も近い理由を「中曽根裁定」を参考にしながらシミュレーションしてみる。

「総理になれるなら何でも呑む」竹下の執念

 1987年(昭和62年)10月20日未明、自民党幹事長の竹下登が次期総裁に内定した。現職首相の中曽根康弘による後継指名だった。今なお謎が多いとされる昭和末期の一大政局劇「中曽根裁定」である。

 ポスト中曽根を争っていたのは、〝ニューリーダー〟と呼ばれた3人。竹下、総務会長の安倍晋太郎、蔵相の宮沢喜一だった。常識的には国会議員の投票による総裁選となるはずだが、当時はさまざまな事情で投票回避の動きが活発化、「話し合い」による一本化で総裁を選ぼうとした(総裁選自体は告示されており、3人は立候補を届け出ていたが、最終的に3候補がそろって辞退)。

 しかし、一本化できるはずもなく、「中曽根裁定」に持ち込まれた。ここでは裁定の真相に関してはあえて深入りせず、竹下が指名を得られた理由をみてみよう。