1720年にイギリスで起こった南海泡沫事件(South Sea Bubble)は、日本でもお馴染みの「バブル経済」の元祖のような出来事で、「世界三大バブル」の1つとして数えられることもあります。イギリスの南海会社の株価が急激に上昇し、あっという間に下落してしまった事件です。経済の実態を反映しない株価の上昇は、まさに「泡(バブル)の如し」だったのですが、その泡を経済の実態だと考えて投資した人たちは、泡の消滅とともに大損を被りました。

 一般には、この事件はイギリス経済に大きなマイナス面を残したとされますが、これと同時期にフランスで起こった「ミシシッピバブル」と比べてみると、そう断言することも難しいようです。というのも、イギリスは南海泡沫事件の善後策として優れた経済システムの構築に成功するのです。逆に、ミシシッピバブルの痛手から回復できなかったフランスは、1789年にフランス革命を招き寄せ、この革命でさらに経済に甚大なダメージを与えてしまったのです。

 ここでは、この2つのバブルの物語を通じ、英仏の経済の違いを見ていきたいと思います。実はそれには、オランダという国が大きく関係していたのです。

最初のヘゲモニー国家「オランダ」

 オランダは、世界史上最初のヘゲモニー国家とされています。ここでいう「ヘゲモニー」とは、他国よりも圧倒的に経済力がある国という意味であり、特に政治的な意味はありません。

 オランダは、1568年から1648年にかけ、スペインからの独立をかけて戦いました。オランダは、1648年に国際的に独立を承認される以前からすでに国家として機能していましたが、その国家としての特徴は、非中央集権性、あるいは分裂性にありました。

 オランダは、7つの州に分かれていました。そのなかでもっとも強力だったのは、「オランダ」の語源となったホラント州です。ですが、他の諸州が連合すれば、ホラント州を抑えることは十分にできるくらいの強さしかなかったのです。連邦共和制の国家でしたが(当時のオランダはまだ王政ではありませんでした)、各州の独立性が強く、中央政府も圧倒的なパワーは持っていなかったのです。