富山県・五箇山には茅葺で合掌造りの古民家が残っている

 少し前の話になりますが、大阪・泉佐野市など4つの自治体が、ふるさと納税制度の税優遇の対象から除外されることが発表されました。

 ふるさと納税制度自体は、よい制度です。制度の主旨は、生まれ故郷や仕事で関係が深い地域などお世話になった自治体に報いるため、納税者が寄付先を選べるというもの。寄付した人には、その寄付額が税控除の対象となるメリットがあります。

 寄付を受ける自治体側からすれば、「地元の子どもたちには、小中高校と地元の行政・教育サービスを通じて巨額の投資をしている。けれども、その子どもたちが大学進学や就職の年齢になると都会に出てゆき、その後の納税先も都会になってしまう。これではあまりに不公平だ」という思いもありました。ふるさと納税制度はこの不公平解消の一助にもなります。

 そこに返礼品という制度がくっつきました。「地域への感謝」という主旨からすれば、寄付して税控除も受けられればそれで十分なはずなのですが、寄付してくれた人に地元の産品を御礼として送れば、地場産業の振興・PRにもなるし、寄付者が地元への愛着をより強めてくれる効果も期待できます。そういうことで、返礼品も認められることとなったわけです。

 しかし泉佐野市が返礼品として用意していたのは、Amazonギフト券など主旨に反するものが多かった。寄付額を増やすために「なんでもあり」になってしまえば、還元率がどんどん上昇し、制度の瓦解につながりかねません。したがって今回の泉佐野市などの除外については当然の判断だったと思うのです。

「東京一極集中を是正しよう」が第一段階

 ただ、この騒動を眺めながら、私の頭には違う疑問が浮かび上がっていました。ふるさと納税制度や地域おこし協力隊など、「地方創生」のための制度の整備はそこそこ進んでいるのですが、その割には地方創生が上手くいったという例はそれほど多くないのはなぜか、という疑問です。単刀直入に言えば、「なぜ地方創生は上手くいかないのか」ということです。

 そこで、私なりに日本の地方創生の流れを分析してみました。まず地方創生にはこれまで3つの局面があったように思います。

 一つ目のフェーズが現れたのは70~80年代です。当時は「地方創生」という言葉は使われていませんでしたが、地方の問題を語る時に使われたキーワードは「過疎問題」でした。戦後の焼け野原の中から復興して、高度成長期に入ると、地方から都会に多くの人が流入し始め、地方は過疎化に見舞われることになります。そのため「東京一極集中を是正しよう」という機運も生まれ、様々な施策が始まります。最も有名なのは、田中角栄さんの「日本列島改造論」でしょう。この文脈の中で、地方と中央を結ぶ交通インフラの整備とともに、工場立地の制限を進め、都会にあった工場を地方に移していく流れがつくられました。