日本代表、運命のポーランド戦控え試合会場で最終調整

サッカーW杯ロシア大会グループHのポーランド戦を翌日に控え、試合会場のボルゴグラード・アリーナで調整に臨む日本の選手(2018年6月27日撮影)。(c)AFP PHOTO / Philippe DESMAZES 〔AFPBB News

 ロシアワールドカップが終幕し2週間。Jリーグが再開し、長谷部誠、長友佑都、香川真司ら「海外組」も新シーズンへ向けて日本を飛び立った。

 2カ月前、かつてない逆風の中でロシアの地へ向かった「日本代表」は、グループリーグを突破し、強豪・ベルギーをあと一歩のところまで追いつめるなど、実力で風向きを変えた。長友佑都が「(ロシアからの)帰国時は張り裂けるくらい胸張って帰ります」と言ったように、多くの選手たちはその自信を胸に新しいスタートを切ろうとしている。

 そんな中で、ほかの「日本代表」とは違った思いを抱いて海外へと飛び立った選手がいる。浦和レッズからベルギーリーグ、シント・トロイデンへの電撃移籍が決まった遠藤航(えんどう・わたる)だ。

「ワールドカップは率直に楽しかったし、ポジティブな時間でした。ただ、終了の笛が鳴った瞬間に悔しさが一気に沸いてきたことも事実です」

 悔しさの理由、それは試合に負けたことだけではない。

 このロシアワールドカップでピッチに立てなかったフィールドプレイヤーは3人。大島僚太、植田直通そして遠藤航だった。各年代別の日本代表に選出され続け、リオデジャネイロ・オリンピックではキャプテンとして全試合にフル出場した25歳。ベンチから見続けた遠藤の目に「日本代表」はどう映ったのか。そして突然の海外移籍の理由とは――?

長谷部誠が開いた2度のミーティング

――ロシアワールドカップはどうでしたか。

 楽しかったですし、悔しかったですね。(ふたつの感情が同居していることは)自分にとってとてもいい経験だったと言えますし、すごくいいモチベーションになったと思っています。

――楽しかった部分と悔しかった部分、それぞれを具体的に言うと。

(ワールドカップ前)当落線上だった自分を選んでもらえたことがまずうれしかったですし、憧れのワールドカップに行けたことは素晴らしい経験でした。何より、本当にいいチームでしたから。試合を重ねるごとに戦術ややりたいサッカーも洗練されてきた感じがありました。それは楽しかったですね。悔しさは……、ベルギー戦が終わった直後に沸いてきた感情です。ああいう負け方(アディショナルタイムに決勝点を奪われる)をしてしまったこと。ワールドカップが終わってしまったこと。あとはやっぱりピッチに立てなかったこと。それが一気にやってきた感覚でした。

――ベルギー戦後、ワールドカップが終わったことが受け入れられないという選手もいました。あまりに突然の負け方だった――と。

 その感覚は、あまり僕にはなかったかな。いつか終わりがくるもの、というイメージはあったというか……だからこそ、一試合でも多くこのチームで試合をしたい、ワールドカップを戦いたいという思いがあった。リオデジャネイロ・オリンピックのときがまさに「受け入れられない」感覚だったんですよ(グループリーグで敗退)。ずっと準備をして積み上げてきたものが三試合でパンと終わってしまって、まだまだ先があるような感覚に陥っていました。

――確かにリオデジャネイロ・オリンピック後は、スランプに陥りました。

 燃え尽きた、やり残した、実力不足を痛感した……理由はいろいろあったと思うんですけど、あのときは日本に戻って浦和レッズでリーグ戦を戦っていてもパフォーマンスが上がりませんでした。スタメンを外されて、ミシャ監督(当時浦和レッズを率いていたペトロヴィッチ監督の愛称。現在はコンサドーレ札幌監督)にも「パフォーマンスを上げないと使えない」と叱咤されたこともありました。そういう経験があったから「大舞台はいつか終わるもの」とどこかで考えながら、その有限の時間を大切にしたい、少しでもその時間を延ばすために貢献したい、と思えたんだと思います。