父・兼家の死後、摂政・関白となった藤原道隆は独裁を振るい、周囲の反対を押し切って、娘の定子を中宮にした。それと同時に、自分の息子たちを強引に出世させるなど、好き放題振る舞った。「我が世の春」とはまさにこのことだが、そんな道隆をもってしても、どうにもできなかったことがある。感染症の爆発的な流行だ。 正暦4(993)年ごろから、疱瘡(天然痘)が九州で拡大し始めて、翌年には全国的に拡大。路上に死者がゴロゴロと転がっており、検非違使が下級役人である看督長(かどのおさ)に命じて、堀の水の中にあふれた死体をかき流さなければならないような状態だった。 今回のドラマでは、平安時代に起きた悲惨なパンデミックがリ