未熟児向けなど各種人工呼吸器の製造販売で、世界的に名声を博する企業が埼玉県川口市にある。社長はトラン・ゴック・フック(日本名=新田一福)さん。日本国籍を取得したベトナム人だ。

 フックさんが留学生として来日したのは1968年だ。南ベトナムの有力政治家で実業家でもあった父上が、ベトナム産のヤシを原料に洗剤を作る会社を建設したいと考え、その技術を学ばせるためにフックさんを日本に留学させたのだという。

メトランの社長、トラン・ゴック・フック(新田一福)さん

 「空手など日本の古武道が好きでしたから、大喜びで日本に来ました。東海大学の工業化学科に入って勉強しました。でも真面目な学生とは言えなかったネ。もっぱら合気道や剣道をやりました。日本語はとても難しい。ほーんと苦労したネ!!」

 父上の希望は、「大学生としての知識だけではなく、実戦的能力を身につけろ。卒業後も日本に残って企業に入り、現場で鍛えてもらえ」ということだった。ところが折悪しくフックさんが卒業する頃はオイルショックで、目標とした洗剤系の会社はみんな業績悪化で四苦八苦。「無給でいいから研修生として受け入れてくれ」と頼んでも、そんな余裕のある企業はなかった。そこで担当教授が「医療機器メーカーはどうか。これからはベトナムでも日本でも医療が重要になるだろうから・・・」と言うので、教授の知り合いの医療機器メーカーに受け入れてもらった。

 そこで医療機器の製造技術・設計・営業から経理まで、幅広く勉強させてもらった。考えてみれば祖国ベトナムの医療環境はおそろしく悪い。ことにベトナム戦争の真っ只中であったため医療器材が極端に不足している。

 祖国ベトナムのために輸血用のチューブや袋を製造する会社をつくろうと決意し、その前段階として日本の機材を輸出するシステムを作り上げ、まさに実行しようとした1975年4月30日。サイゴンが陥落してしまった。

 「その時の気持ちは、言葉では絶対表現できません」とフックさん。父母兄弟とも全く音信不通。フックさんの家庭は南ベトナムの政府に近い政治家でもあったから、処刑される可能性すらあった。

 「戦争ですから実態はひどいものです。サイゴン陥落後、膨大な数の南ベトナム住民があてもなく船に乗って逃げ出しました。危険な船の上の方が陸上よりも安全だと思ったのは、住民がひどい目に遭っている場面を皆が見てきたからです。人民裁判で命を落とした人もたくさんいました」

 「祖国にはもう帰れない!!」という思いで心が張り裂けそうになったという。