(英エコノミスト誌 2009年11月7日号)
ベルリンの壁が崩壊してから丸20年。その間、経済的自由の進展は常に、政治的自由の進展に先んじてきた。どちらの自由も所与の権利と考えてはならない。
ベルリンの壁崩壊の引き金を引いたドイツ社会主義統一党(SED)政治局員のギュンター・シャボウスキー氏(1989年11月8日撮影)〔AFPBB News〕
「分割された欧州の中の分割されたドイツ、さらにその中で分割されたベルリン。ほかならぬこの場所で、冷戦が突如、東西入り交じっての街頭祝典へと変わった」。本誌(英エコノミスト)は20年前にこう報じた。
西側の最終的な勝利を確信していた人にとってさえ、ベルリンの壁崩壊は、驚くほど偶発的な出来事だった。
ハンガリーが国境開放に踏み切ったことに乗じて、20万人の東ドイツ人が西側に逃れた時、東ドイツの共産主義政府は、国民を国に閉じ込めていた出国規制を緩和することを決めた。
詳細を知らされていなかった広報担当の政治局員は、規制変更の実施時期を問われ、「私の知る限り、即時発効だ」とつぶやいた。この発言がテレビで放映されると、ベルリン市民はすぐさま出かけた。1週間前なら「同志」に銃を向けていただろう国境警備隊も、困惑しつつ群衆を黙って通らせた。そして間もなく、世界を分断していた壁は、歓喜の中で取り壊されることになる。
歴史的な日の到来に全く準備ができていなかった西ドイツのヘルムート・コール首相は、その時国外にいた。
西ドイツのヘルムート・コール元首相(右)は壁が崩壊した時、ポーランド訪問中だった〔AFPBB News〕
1989年11月9日に起きた鉄のカーテンの崩壊は、大勢の人にとって、人生の中で最も印象的な政治イベントとして今なお記憶にとどまっている。
壁の崩壊によって何百万もの人々が自由を手に入れ、核による人類滅亡の危険を孕んでいた世界的な紛争に終止符が打たれた。
それは西側のリベラル派にとって今も、以来勝ち取ってきたもの、そして今後も戦うに値するものの両方を象徴する出来事であり続けている。
シュタージを思い出せ、だが冷蔵庫も忘れるな
だがこの20年間、大きく前進してきたのは、政治的自由よりも経済的自由の方だった。20年前に語られた平和的な新世界秩序という議論も聞かれなくなった。ナショナリズムや宗教、あるいは単に「他者への恐怖」から、新たな分裂が出現してきた。
民主主義の不可侵を主張するどころか、恥知らずにも抑圧的な独裁政権を野放しにしている国が山ほどあり、その中には、悲しいかな旧ワルシャワ条約機構加盟国の一部や、アラブ諸国の大半、それに中国が含まれる。
西側諸国の首脳は、モスクワや北京、リヤドを訪問しても、曖昧な言葉で人権に言及するにすぎない。こうした政権が今後も存続することが、当然のこととして推定されるようになってきた。
政治とは対照的に、商業の世界では、グローバリゼーション――商品や資本、人材、見解の自由な移動を意味するあの厄介な言葉――が支配的原理となった。といっても、グローバリゼーションが全世界で受け入れられているわけではない。新多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)の生みの苦しみを見るといい。
それでも、グローバリゼーションに公然と反対する国はほとんどない。経済の世界では通常、反自由主義は自らの姿を偽る必要があり、それを密かに推し進めたい政府は、「中国の特徴を兼ね備えた資本主義」「ステークホルダー資本主義」「フェアトレード(公正な貿易)」などといった言葉を強調する。
経済界は、先の危機に見舞われた後でさえも、世界はさらに統合されていくという前提を変えていない。経済の論理や技術には誰も抵抗できるはずがない、というわけだ。
こうした推定が存在する理由は容易に理解できる。経済自由主義が成功した2つの事例を考えてみればいい。いずれも、現時点ではいくらか過小評価されている点だ。
第1は、 20年前に経済自由主義が果たした役割である。東ベルリンの市民が西側に押し寄せたのは、シュタージ(旧東ドイツの秘密警察だった国家保安省)から逃れるためだけではなかった。
多くの人は、冷蔵庫やジーンズ、スーパーマーケットのコカ・コーラも求めたのだ。
その頃までに、共産主義はどれだけ戦車やミサイルを持っていようとも、経済効率では完全に劣っていた。ミハイル・ゴルバチョフ氏は、あれだけ大勢の冷遇されてきた人があれだけ平和的に逃げ出すことを容認した点で評価に値するが、ソビエト連邦が崩壊したのは、商品を生み出すことができなかったためだ。
ベルリンの壁がずっと残っていたら、世界は今のようにはなっていなかった〔AFPBB News〕
さらに、現在のグローバリゼーションの波は、厳密にはベルリンの壁崩壊の前に始まっていたにせよ、壁の崩壊によって加速したのは間違いない(グローバリゼーションという言葉は、1986年までは本誌でもほとんど見当たらず、1990年代に入ってようやく一般に使われるようになった)。
もし欧州の半分が壁で囲われたままだったら、グローバリゼーションはこれほど大きな意味を持たなかっただろう。
ある程度信頼に足るもう1つの経済体制が依然存在していたなら、ブラジルやインド、さらには中国など、本来的に国家統制主義である主要新興国の多くは、自国経済を開放するまで、もっと長い時間がかかっていたはずだ。
そのことが、第2の過小評価された成功につながる。
資本主義は現在、金融業界のごく一部による行き過ぎた行為によって非難されることがあまりに多い。しかし、歴史学者が過去四半世紀をまとめる時が来たら、リーマン・ブラザーズやサー・フレッド “ザ・シュレッド” グッドウィン*1についてよりも多くのページが、5億人もの人が絶対貧困から抜け出し、中流に近い層を形成するようになったことに割かれるだろう。
歴史学者が過去四半世紀を振り返れば、リーマン・ブラザーズの破綻などよりも、資本主義が5億人の人を貧困から救ったことにページが割かれるはず〔AFPBB News〕
この大衆の成功は、それ自体が素晴らしいことであり、経済の歴史において前例のない大躍進だが、それだけにとどまらない。
この成功は、他の分野における無秩序な自由に拍車をかける役割も果たした。世界中の携帯電話から、卓見、暴論、極論を含めてあらゆるメッセージが送信されている状況を考えてみるといい。
というのも、今月北京を訪れるバラク・オバマ米大統領に中国の首脳が何を言おうとも、経済的自由と政治的自由は最終的につながっている。20年前に人々が期待していたほど強固なつながりではないかもしれないが、つながっていることに変わりはないのだ。
将来に目を向ければ、中国で台頭するインターネットに夢中な中間層は確実に、経済だけにとどまらない自由を求めるようになる。1989年に起きたような予想外の変化が再び起きるかもしれない。最も畏怖すべき抑圧の砦でさえ、やがて破られる可能性はある。
*1=英ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)の前CEO(最高経営責任者)。情け容赦ないコストカットで、Fred the Shredと呼ばれるようになった
ベネズエラのチャベス大統領(左)もイランのアフマディネジャド大統領(右)も永遠に安泰とは言えない〔AFPBB News〕
当時の東ドイツのホーネッカー議長やルーマニアのチャウシェスク大統領がそうだった。明日はキューバのカストロ議長、イランのアフマディネジャド大統領、ジンバブエのムガベ大統領が、さらにはいつの日か、ベネズエラのチャベス大統領や中国の胡錦涛国家主席さえも、同じ道をたどるかもしれない。
別の言い方をすれば、政治的自由は決して経済的自由に追いつかないという推定は、幸いにも見込み違いとなる可能性がある。
問題は、歓迎できないような形で、この差が縮まる可能性もあるということだ。つまり、経済の自由化が政治の力によって減速させられる恐れがあり、場合によっては覆されるかもしれないのだ。
マルクスからマーケットへ
こうした可能性は、西側のリベラル派、それも本誌ほど手放しに自由市場を信奉している向きでさえも、自ら抱く信念の人気度に関する厳しい現実に向き合わねばならないことを意味している。
西側の資本主義が腐敗した共産主義者のライバルに勝ったからといって、永久に有権者の支持を確保できるわけではない。19世紀に前回のグローバリゼーションの大波が押し寄せた時にカール・マルクスが指摘したように、比較優位の魔法はすり減ってしまい、無残な状態に陥る可能性がある。
相対的な力を失い続ける米国〔AFPBB News〕
敗者は(閉鎖されたタイヤ工場のように)塊となって取り残される一方、無数の勝者(安い車に乗る人々)は共通点を持たない。富める者はさらなる富を手にする。世界規模の市場では、地域の市場よりも手にする当たりが大きい。そして、資本主義は常に、極端な好況と不況の波にさらされてきた。
とりわけ、政治は頑固なまでに地域的であり続ける。これまでの経済統合に見合うような政治の統合はなかった。そして、現行制度にグローバルな保証人が存在する限り、その役を担うのは、グローバリゼーションの進行とともに相対的な力を失い続ける米国なのである。
自国の成功の秘訣を輸出するという米国の寛大さのおかげで、中国は米国と肩を並べるほど接近しつつあり、他の主要新興国も追い上げてきている。そんな米国では、保護主義を支持する声がにわかに高まってきた。
人間の営みとして、傷ついた自尊心や外国人への嫌悪は往々にして経済的な合理性に勝るものである。そうでなければ、なぜロシアが天然ガスの取引相手を脅かすだろうか。あるいは、英国人が欧州連合(EU)を悪者扱いする理由があるだろうか?
もし世界が理性的であれば、中国が日本への嫌悪を煽ることもないだろうし、裕福なサウジアラビア人が国外のイスラム過激派に手を貸すこともないだろう。
携帯端末ブラックベリーに夢中で、国家主義や原理主義にまで頭が回らない多くのビジネスマンは、ケインズが1914年8月以前の羽振りがいいロンドン市民について書いた、以下のような考察に思いを馳せてみるといいかもしれない。
曰く、ベッドでゆったり朝の紅茶を楽しみ、電話一本で世界中に商品を注文し、当時のグローバリゼーションの時代を「正常、確実、永続的で、たださらなる進歩に突き進むのみ」ととらえ、「軍国主義の政治」や「人種的、文化的な対立」を単なる「新聞を読む楽しみ」と片づけている人々だ。
入念に備えるべし
西側のリベラル派は、政治のグローバリゼーションが経済に比べて不足している事実を認識したなら、それを守る――正しい方法で差を埋める――決意を一層強めるべきである。そのためになすべきことは、人権の推進から雇用政策の改善まで、いくらでもある。
だが同時に、1989年以来資本主義が世界にもたらした無数の恩恵を、西側諸国のリーダーたちがこれまで行ってきた以上に力強く守っていかなければならない。そして恐らく何よりも、何事も所与のものとして考えないことが重要だ。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。

