中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。日本語学校での勤務も限界を迎え、異国の地で無職になった。しかし、家内の強引な説得と後押しを受けて、上海で会社を設立することにした。「何をするかは作ってから考える!」という中国人の家内のポジティブ思考に押し切られ、事業内容も決めていないまま、社長としての生活が始まった。