1956~58年、1道7県の249家族1319人がドミニカ共和国に農業移住した。八つの移住地に配耕されたが、“カリブ海の楽園”と謳われた募集要項とはあまりにかけ離れた現地の状況に嘆願書が提出され、62年には多くが帰国、もしくはブラジルをはじめとする南米各地に再移住する「戦後移住史上最悪のケース」となった