東京に戻って当時の政府内部の動きについて取材してみると、地震発生当日の3月11日から12日にかけて、何をしていたのか説明がされていない「空白の時間」が何箇所かあることに気づいた。海江田氏の回顧録を読んでみて、そのいくつかに海江田氏が同じように疑問を持ち、触れているのが私の目を引いた。