大野氏は、1台の機械にしがみついている職工が複数台の機械を扱えるようにするために、工作機械に工夫を凝らし、時には機械から離れられるように変えていきました。これをトヨタ用語では「機械に知恵をつける」とも言います。大野氏が機械工場で実際に「自働化」を展開するに当たっては、紡織工場とは違う様々な困難が待ち受けていました。